こんにちは!!
ついに梅雨も明けて、いよいよ夏が本気を出してアタックしてきますね。
久しぶりの番外編、今回は世間では同義語の様に捉えられているシンクロニシティとセレンディピティの違いについて考えてみます。
この番外編は、私自身が興味を持っているオルタナティブな健康法や自然医学、古代科学、精神世界、そして科学と迷信の間のソフトエッジなどについての記事であり、バイオジオメトリーの教義とは一切無関係な事を最初に明記しておきます。
This epsode has nothing to do with the teaching of BioGeometry.
この二つの言葉の意味をざっくりと表すと、、、
シンクロニシティ= 体験者にとって重要な意味を持つ連続性のある偶然の出来事で、それによってある覚醒や悟りの様な物が得られる現象。
セレンディピティ= 何かを探しているときに、偶然に探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉。
という事になります。
★シンクロニシティ
シンクロニシティは、あのカールユングによって作られた言葉で、全く関係の無い状況、あるいは人間を巻き込む形でアットランダムに起きるいわゆる"偶然"をアカデミックな視点で捉えるために生み出された言葉です。
ふと誰かの事を考えると次の瞬間にその人から電話かかってきたり、メッセージが上がってきたりする事を割と良く経験しますよね。これがいわゆる"虫の知らせ"です。
また同じ数字が日常的に頻繁に目に着くと言う事も多々あります。
私の場合は、ある数字の組み合わせがデジタル表示、看板、標識、広告、銀行の順番待ち番号など様々なスタイルで "早く気づけよ!!" と言わんばかりに現れるので、数秘学やエンジェルナンバーの本などでその数字の意味を調べたら、「何でも良いからガーディアンエンジェルにお願いできるナンバー」と書いてあったので、その数字に遭遇する度に、勝手で無茶なお願いをブルドーザーのように押し通して叶えています。(笑)
このシンクロニシティーの象徴するものは何か?、それが予言するものは何か?
それらには極めて個人的な解釈が必要になりますが、その前に"それらの偶然の連続が何らかのメッセージを送り続けているのだ"と言う事に気付かないと始まりません。
あのユーミンの初期の作品、"優しさに包まれたなら" の中に "目に映る全てのものはメッセージ"と言う一節がありましたが、あれはきっと "自然の優しさを感じて心を落ちつかせれば、そこら中に表れているメッセージを読み取れるよ" と言うシンクロニシティーを歌っているのでしょう。。。
さて、シンクロニシティーが私たちに与えてくれる物は何でしょうか??
予兆(地震、洪水などの自然災害)
予告(良し悪しを問わず身の回りに起きる事)
警告(注意喚起、サインを読み取れたために危機を免れる)
芸術(薄い睡眠状態時に浮かぶメロディーや構図などの創作へのインスピレーション)
導き(人生の道を見失った時、良い方向を示してくれる)
疑問の答え(いくら考えても出てこない答えがそれを諦めた時にいとも簡単に示される)
身の回りのいくつかのサインを見逃さななければ、シンクロニシティーと呼ばれる"奇跡の偶然"はいつも私たちの味方になるでしょう。
シンクロニシティーのカラクリは???
シンクロニシティーの仕組みは、今から3500年前に森羅万象の不思議について書かれた古代インドの書物リーグベーダに表されています。要点をまとめると、、、
*森羅万象は、無限に続く縦糸と横糸で紡がれた巨大な網のようだ。
*縦糸と横糸が組み合わさる場所には必ず人がいる。
*人は巨大な網の中に無数に散りばめられた水晶のビーズの様なものである。
*思考の存在が放つ光が一つ一つのビーズを照らし、その本質を浮き上がらせる。
*光を受けたビーズはお互いに反射し合うだけでなく森羅万象そのものを反射する。
これはまさに古代の叡智テンプルサイエンス(古代科学)の好例ですよね。万能であるはずの現代の科学が解明できない問題をいとも簡潔に表現しているのは驚きです!!
ところで俗に言うテレパシーは、シンクロニシティーと言う大きな絵の中の一つの色彩に過ぎず、シンクロニシティーはきっともっと大きな物なのでしょう。それはまるで宇宙の奏でるシンフォニーの様ですね。。。
★セレンディピティ
このシンクロニシティとよく似た言葉で「セレンディピティ」があります。 シンクロニシティとは、「意味のある偶然の一致」を意味する言葉です。 どちらの言葉も「偶然」という点では同じですが、シンクロニシティはあくまでも起こった現象そのものを指します。 それに対してセレンディピティは、幸運な偶然を得る主体的な力のことを指します。
そしてシンクロニシティが本人の意思に関わらずにアットランダムに起きる偶然の連鎖に比べ、セレンディピティは、最初に"何かを探している"という自主的な行為が不可欠で、その最中に起きる有益な偶然なのです。つまり心に構えがないのがシンクロニシティで、心に構えがあるのがセレンディピティと言うわけです。
セレンディピティは17世紀の英国の小説家ホレスウォルポールが作った言葉で、彼が子供の時に読んだセイロン島(スリランカ)の王子たちが旅に出て探していた物以外の素敵な物を見つけて持ち帰ると言う童話"セレンデップの3人の王子"に由来しています。
この現象は多分シンクロニシティより頻繁に大勢の人々に起きる事でしょう。なぜならシンクロニシティーよりハッキリと現象を認識できるからです。
例えば、何か別の目的のために外国に渡航して、偶然に現地でお嫁さんや旦那さんに出会って連れ帰るケースはセレンディピティと言えますが、連れ帰って来たらその相手が冷血で性格極悪だったなんて場合は、"探していたものよりも価値ある物を見つけて帰る"と言う定義から外れてしまいます。(笑)
たとえば、インターネットで何かについて調べていたとき偶然、「ほかに気になっていた事柄に関する答えを発見できた」という場合や、Spotifayで聴きたくなった音楽を探していたら、偶然自分にツボのアーテイストを見つけた。
これらもセレンディピティのひとつだと言えなくもないですが、むしろインターネットのAIによるアルゴリズム戦略は、消費者の日頃の検索事項の共通性から消費者が興味ありそうな作品や商品を紹介して売りまくろうとしています。これは"無理やりセレンディピティ"と言わなくてはなりません。
ところで、セレンディピティは科学や研究の分野で実際に良く起きてきた様です。
- アルフレッドノーベルによる、ダイナマイトの発明
- ヴィルヘルムレントゲンによる、X線の発見
- アレクサンダーフレミングによる、抗生物質ペニシリンの発見