「この人に教わった。」 | 「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

出来ない事はやらないことだとHIS創業者「澤田秀雄」氏から学んだ。ベンチャー魂と自ら経験した多くの失敗が成長の奇跡を創る。伝える事よりも伝わること!直ぐに実践したくなる、熱き魂に触れてください。


旅こそ我が人生!!

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 僕が高校生の頃に、3年先輩の彼に出会った。場所は福岡市室見。電停傍の「メルヘン」という喫茶店。時折、格子状に嵌められた ガラスのドアの隙間から路面電車の音が入り込む店だった。常連同志の僕らは偶然にも同じ高校(高校に関してはお互いに愚痴っていたが・・・)で意気投合 し、いつも一緒だった。
 昼間はそこでコーヒー一杯で5時間も6時間もカウンターの椅子に根を生やし、ジャズの蘊蓄、山の事、自然の事、寺山修二 の話から人生論まで話は尽きる事無く(本当はゴミみたいなネタから宇宙論まで・・・誇大妄想だったね。)、店で流れるムスタキやフィヴィー・スノウ、ジャ ニス・イアンにユーミンまで、何度も同じ曲を聴き。身勝手な理想論をぶちまけていた。駄弁りと座ることに飽きると・・・パチンコ屋へ、腹が減ればラーメン かチャンポンを食べ、お腹が膨れればジャズ喫茶の暗闇に潜りこみマッコイ・タイナーやマイルスの音の世界に没落する。夜は同じ喫茶店のカウンターの定位置 に戻る。金を持ってるOLやサラリーマンの常連さんに誘われれば、そのまま飲みに行く。金のない僕らは、帰りはトボトボ徒歩で神社の境内に寄り道、また深 夜まで語る。・・・何をそんなに話していたのだろう?
 その後、僕は進学の為、上京。福岡の大学を中退した彼は。仕事?の為に仙台に行く途中に、僕の東京の東長崎の4畳半一間のアパートに寄る。何 と!一晩が、そのまま居つくことになってしまった。  ・・・東京でも同じことが繰り返される。・・・「せい」という喫茶店のカウンターの椅子に根付く、夕食は彼の作る「野菜の餡かけ炒め」に古米のご飯にゴ マ塩をかけて喰らう。時間がない時は150円のクッパ屋へ。週に一度は駅前の西友ストアーで買った3枚1000円のOGビーフのステーキとなめこの味噌 汁。月に一度の贅沢は「東」の豚カツだった。
 ・・・判を押したように、毎夜、コインランドリー~銭湯~「せい」~常連の誰かのアパート又は、昭 和の場末の佇まいのスナック「マホロバ」へ。・・・電信柱の広告は「キョーレオピン」、フォルクスワーゲンゴルフのルーフにサーフィンをこれ見よがしに積 んだ「丘サーファー」が闊歩し、街にはジーンズショップが点在していた。池袋の雑居ビルの薄汚れたジャズ喫茶のパラゴンのスピーカーからはフュージョンや メロウジャズが流れた。・・・暑い日も寒い日も風はゆっくりと流れていた。夢を語る二人を囲っていたマスターやママ、多くの常連さん達・・・今頃、どうし ているのだろう?
 ・・・人生の半ばを過ぎ周りが寂しくなってくる現実と向き合う中、名前も忘れてしまった人々達との記憶が甘く愉しく、時に切な く浮かんでくる。・・・彼とは一緒にいる事はなくなったが、一緒にいた時間は失われない。その記憶は「あの時代」の風の様に暑い日も寒い日もゆっくりと流 れていく。・・・本当に多くの事を教わった。そして、助けられた。 — 品原克幸さんと一緒です