「有難う!」 | 「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

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出来ない事はやらないことだとHIS創業者「澤田秀雄」氏から学んだ。ベンチャー魂と自ら経験した多くの失敗が成長の奇跡を創る。伝える事よりも伝わること!直ぐに実践したくなる、熱き魂に触れてください。

「有難う!」


 この3月は様々な出来事が怒涛の如く過ぎ去って行った。

一番大きな出来事は、やはり父の事である。2月に救急病院からホスピス専門病院に転院した。

 心優しきドクター達と献身的な看護士の方々、また、多くのボランティアの温かな援助に囲まれて父は穏やかに過ごす事が出来た。

 僕たち家族は父の誕生日である4月25日を皆で祝いたいと切に願っていた。

病室のベッドで意識朦朧とする父に、「もうすぐ誕生日だよ、皆でお祝いしようね。」と家族は語りかけて来た。

 ・・・3月15日過ぎに、主治医から「容態が安定しません。早めに誕生日をしてあげて下さい。」と電話が母にあった。

 僕たち家族はスケジュールを調整して21日の日曜日のお昼に看護士さん達も参加して下さり、賑やかに父の誕生日を祝った。・・・一緒に写真に収まった父は穏やかな顔だった。・・・実は父は前の病院に入院中に2度の脳梗塞を起し、自ら感情表現が出来なくなっていたのだ。時折、目を左右に動かすか左足を動かす程度しか出来なくなっていたのだ。・・・しかし、その週の月曜日は、すれ違いだったが親戚を含めて母、兄家族、僕の家族が見舞った時には、父に話しかけると、目を左右に元気良く動かし、「分かった?」と尋ねると、右足を高く上げて答えたのだ。・・・其の日の夜は、僕ら家族は興奮しながら、「凄いね、持ち直すかもしれないね!」と話し、正直、嬉しかった。

 ・・・21日の日曜日、誕生会を終え、僕ら家族は病院を後にした。

母、兄家族は自宅に、僕はラジオの仕事の為、rkbのスタジオに・・・18時からの本番前に携帯が鳴った。母からだった。容態が急変したので、今から病院に行くと、。

 僕は2時間の生放送が終わると、車で急いで病院へ、兄は病室にいた。母は一旦、戸締りの為に自宅に戻っていた。父の呼吸は弱くはなっていたが、僕たちと同じ世界に留まっていた。

 母が戻ってくると、。父の呼吸は時折、止まる様になっていた。・・・僕らは「お父さん、有難う!」「お母さんの事は心配しなくて良いよ。」と声を掛けると、2度と息をする事はなかった。

 ・・・翌々日に通夜、その翌日に葬儀を執り行った。・・・兄もフリーランスの仕事、僕も自分の代わりがいない仕事の為、。お互いにやり繰りしながら、自社のスタッフたちも献身的にサポートをしてくれた。また、多くの方が父の通夜、葬儀に足を運んでくれた。・・・「皆さん、有難うございます。」

 そして、故 父に心より感謝しています。「本当に有難う!」


 ・・・明日から4月、さぁ、元気で明るく!!前に進もう!!