「門出の記念」 | 「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

出来ない事はやらないことだとHIS創業者「澤田秀雄」氏から学んだ。ベンチャー魂と自ら経験した多くの失敗が成長の奇跡を創る。伝える事よりも伝わること!直ぐに実践したくなる、熱き魂に触れてください。

「門出の記念」


見る度に思い出す事がある。

 今から35年前の話である。入学式の前だから、今くらいの時期だったと思う。・・・・

父と連れ立って買い物に出かけたのだ。・・・


 父と僕の関係は良くなかった。殆ど話もしない。僕はある意味、敵意さえ持っていたかも知れない。 その頃の父は、僕の目から見れば、大企業のコンサバティブなサラリーマンに見えた。出世や収入が在籍年数の積み重ねで計算出来る会社だと思っていた。マージャン、ゴルフ、釣りとホワイトカラー族の趣味、付き合いは一通り全て遣っていたのではないだろうか? 家に帰ると必ず晩酌もしていた。付き合いが良いのか、部下や上司を良く家に連れてきていた。・・・決してマイホームパパではなかった。遊んで貰った記憶があまりない。士官学校出身の青年将校の生き残りである。細く身体も締まっていて、贅肉も付いていなかった。 会社では経理畑で超、几帳面な人であった。・・・厳しかった。何度も激しく怒られる兄を見ていた。・・・僕は次男なのか、あまり期待もされず、直接的な怒りの矛先にはならなかった。・・・でも、激しく叱られる兄を見るのは嫌だった。・・・もっと子供の頃、NHKの朝の連続テレビドラマで”おはなはん”が放映されていた。そこに出てくる、厳格なお父さんの姿とシンクロして見えていた。

 その日は、珍しく父はご機嫌だった。僕も素直だった。父としては本位でない?僕の高校進学のお祝いとして”時計”を買いに一緒に出かけたのだ。今は無き、老舗デパートの玉屋の前にあった時計店である。中に入ると、父は笑顔で好きな物を選んで良いと言う。僕はガラスのショーケースの中から緑色の文字盤のセイコー製の男性用としては小さめの物を選んだ。「これが良い」・・・「分かった」



 それから35年間の間に一年一年、歳を重ねるごとに少しずつ僕の勝手な誤解が解けてきた。父の本当の優しさが理解出来るようになったのだ。

 あの時の一言の本当の意味が。

 「分かった。」に込められた未来への応援メッセージが・・・たまに出して眺める事がある。緑色の文字盤、小さな時計、手巻きである。リューズを巻くと動き出す長針と短針、僕も父も針の様にしっかりと気持ちが重なる事が出来る様になったのだ。

 「もっと長生きして下さいね。”時計も父も、・・・家族は宝です。」