今は何も無い新富町ですが、
明治の頃には劇場「新富座「がありました。
歌舞伎座と共に歌舞伎黄金時代を築いたと言われています。
新富座は関東大震災により廃座となり再建されることなく、
現在は京橋税務署となっていて、昔の面影は全くありません。
唯一その面影を残すのが、踊り用の足袋の専門店、
「大野屋總本店」です。http://www.oonoyasohonten.jp/
大野屋總本店のHPより、、、
安永年間創業。嘉永2年(1849年)現在の新富町に移転し、代々足袋を作って参りました。明治5年にこの土地に新富座が、また22年には木挽町に歌舞伎 町座が出来、その後、5代目福太郎の創り出した新富形の足袋が、大野屋の名を広く世に知らすところと なりました。現在も一人ずつ足形を又、足袋の他にも和装肌着やガーゼのねまき、パジャマ、ハンカチ、湯上りなど独自の色と柄の和装雑貨を製造しております。
近所を散策すると、ひっそりと、でも、ある存在感を持って
新富町で看板を守りぬいています。
私は日本舞踊のたしみがないので、
なかなか、入るのもはばかられていました、、、
と、ご近所に住む区民カレッジで知って頂いた生徒さんが、
ご近所つながりで、大野屋さんのガーゼのハンカチと手ぬぐいを
プレゼントしてくださいました。
なんとも言えない懐かしい風合い、、、
また、別の機会にお会いすることができ、
その時は、小さな小さな足袋を頂きました。
赤ちゃんの靴下よりも小さな足袋。
お金(あし)が入る福足袋としての縁起物です。
しかし、驚くばかりの美しい裁縫技術!
とっても小さな足袋なのに、しっかりと縫ってあります。
日本の技術の素晴らしさったら世界一ですね!!!
安永からの創業を続けられる大野屋さん。
長きに渡りその技術を保ち、時代に合わせて新たな発展をされている
老舗のお店にあやかって、
私も頑張ろう!と気持ちを引き締める次第です。
歴史あるこの地にサロンを構えさせて頂いてい事を
ちょっと嬉しく感じます。

明治の頃には劇場「新富座「がありました。
歌舞伎座と共に歌舞伎黄金時代を築いたと言われています。
新富座は関東大震災により廃座となり再建されることなく、
現在は京橋税務署となっていて、昔の面影は全くありません。
唯一その面影を残すのが、踊り用の足袋の専門店、
「大野屋總本店」です。http://www.oonoyasohonten.jp/
大野屋總本店のHPより、、、
安永年間創業。嘉永2年(1849年)現在の新富町に移転し、代々足袋を作って参りました。明治5年にこの土地に新富座が、また22年には木挽町に歌舞伎 町座が出来、その後、5代目福太郎の創り出した新富形の足袋が、大野屋の名を広く世に知らすところと なりました。現在も一人ずつ足形を又、足袋の他にも和装肌着やガーゼのねまき、パジャマ、ハンカチ、湯上りなど独自の色と柄の和装雑貨を製造しております。
近所を散策すると、ひっそりと、でも、ある存在感を持って
新富町で看板を守りぬいています。
私は日本舞踊のたしみがないので、
なかなか、入るのもはばかられていました、、、

と、ご近所に住む区民カレッジで知って頂いた生徒さんが、
ご近所つながりで、大野屋さんのガーゼのハンカチと手ぬぐいを
プレゼントしてくださいました。

なんとも言えない懐かしい風合い、、、

また、別の機会にお会いすることができ、
その時は、小さな小さな足袋を頂きました。
赤ちゃんの靴下よりも小さな足袋。

お金(あし)が入る福足袋としての縁起物です。

しかし、驚くばかりの美しい裁縫技術!

とっても小さな足袋なのに、しっかりと縫ってあります。

日本の技術の素晴らしさったら世界一ですね!!!

安永からの創業を続けられる大野屋さん。
長きに渡りその技術を保ち、時代に合わせて新たな発展をされている
老舗のお店にあやかって、
私も頑張ろう!と気持ちを引き締める次第です。

歴史あるこの地にサロンを構えさせて頂いてい事を
ちょっと嬉しく感じます。
