続きですキラキラ

 

【資料】
明治の日本画の近代化は、分派していた伝統的な絵画が「絵画」という概念へ統合されていく過程にみることができます。東京ではフェノロサと岡倉天心が、京都では丸山・四条派が中心となって近代の日本画を主導し、美術教育の制度も整えていきました(a)一方で町絵師を出自とする画家たち(b)も独自の境地を拓いていきます。明治後期には、西洋美術の影響を吸収しながら日本の伝統を解釈し直した画家たちが、古典回帰的な作品(c)を発表しました。

 

 

Q.266
下線部(a)にある「近代の日本画」として、現在、嚆矢とされている作品は?

① 狩野芳崖 《悲母観音》

② 河鍋暁斎 《悲母観音図》

③ 橋本雅邦 《龍虎図屏風》

④ 富岡鉄斎 《富士山図》

 

 

狩野芳崖 悲母観音

1888(明治21)年
東京芸術大学 重要文化財

 

 

 

 

答え ① 狩野芳崖 《悲母観音》

 

(問題文の「嚆矢」(こうし)とは

物事のはじまり・最初 という意味)目

 

 

この《悲母観音》(ひぼかんのん)は

近代日本画の出発点となる作品といわれますキラキラ

 

 

描いたのは

狩野芳崖(かのう ほうがい/1828~88)

狩野芳崖

 

 

下関狩野派の絵師の家生まれ

 

狩野派の最後を飾り

「近代日本画の父」とよばれます音譜

 

フェノロサ岡倉天心らとともに

日本画の近代化を推し進めた1人ですビックリマーク

 

 

西洋画法を積極的に研究し

その色彩美をとりいれて

和洋折衷の新しい日本画を創出しましたキラキラ

 

 

 

この《悲母観音》

芳崖が亡くなる4日前まで描いた絶筆びっくり

 

生まれたての子供に

甘露の水を灌ぐ観音様ですキラキラ

 

狩野派の厳格な筆法に

西洋画の色彩美を採り入れた作品です

 

 

 

母の慈しみ的存在=女性 と思っていたのですが

よく見ると…サーチ

 

お髭が びっくりハッ

 

狩野芳崖   悲母観音

 

観音様って女性ではないんですねあせる

 

かといって男性でもなく 中性でもなく

そもそも性はなく 超越した存在なのだそうキラキラ

 

 

 

 

 

《仁王捉鬼図》(におうそうきず)

狩野芳崖

東京国立近代美術館 1886年

 

 

 

近代日本画の始まりが 狩野芳崖キラキラ

 

近代洋画の始まりは高橋由一でしたねビックリマーク

 

2人は同じ1828年の生まれですウインク

 

 

 

 

 

 

出題:美術検定2級問題集ー応用編:アートの知見を広げる 美術出版社 2019

参考図書

改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術出版社 2019

続 西洋・日本美術史の基本 美術出版社 2018

増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 美術出版社 2020