昨日の続きです音譜

 

【資料】
幕末期に遡る西洋絵画の研究は、開国後、高橋由一らによって本格化します。彼らは外国人画家から西洋絵画の技法を学び普及に努めました(A)。明治政府が設立した工部美術学校(B)では、外国人芸術家が招聘されて指導にあたるものの、美術行政は次第に日本の伝統的美術を重視し始めます。明治後期には、帰朝絵画たちがアカデミックな西洋美術の思想や技法の普及に努め(C)同時代の芸術思潮(D)も紹介していきます。

 

 

Q.262
下線部(B)の美術学校で、師弟関係にあった組み合わせとして正しいものは?

①ワーグマン - 小山正太郎

②フェノロサ - 山本芳翠

③ラグーサ - 五姓田義松

④フォンタネージ - 浅井忠

 

 

 

 

答え ④ フォンタネージ - 浅井忠


 

アントニオ・フォンタネージ

フォンタネージ

 

昨日も出てきましたねウインク

 

 

アントニオ・フォンタネージ(1818~82)は

1876(明治9)年に設立された

工部美術学校の教授として来日ビックリマーク

 

バルビゾン派の影響を受けて

詩情性ある風景画を描いた

イタリアの画家です音譜

 


 

浅井忠

浅井忠

 

浅井忠は(あさいちゅう/1856-1907)

このフォンタネージのもとで

本格的に西洋美術を学び出しますキラキラ

 

 

浅井忠  春畝

浅井忠 《春畝》 (しゅんぽ) 

1888 重要文化財

 

 

問題に出てきた 浅井忠以外の

 

小山正太郎(こやましょうたろう/1875-1816)

山本芳翠(やまもとほうすい/1850-1906)

五姓田義松(ごせだよしまつ/1855-1915)

 

みなフォンタネージに学んでいますビックリマーク

 

 

 

 

工部美術学校は6年ほどで閉校汗

 

その背景には 1878(明治11)年

東京大学政治学を教えるために

こちらも政府から招聘された

フェノロサによる影響がありました目

 

 

フェノロサ

フェノロサ

 

アーネスト・フェノロサ(1853~1908)は

 

日本の伝統的な絵画仏像のすばらしさ

その保護再評価を唱えキラキラ

 

教え子であり 文部省に入省した

岡倉天心と(おかくらてんしん)とともに

日本画の革新を推し進めますビックリマーク

 

岡倉天心

岡倉天心

 

 

財政難もあり 政府の経済政策

日本の伝統美術を保護する文化政策へと転換びっくり

 

その流れがあり

西洋美術を学ぶ工部美術学校は閉校へ向かい汗

 

日本美術発展のため(西洋画科のない

東京美術学校が開校されます

(西洋画科新設は7年後)

 

この流れ 何度も出てきましたねウインク

 

 

1889(明治22)年 欧州帰りの画家や

浅井忠  小山正太郎ら

 

「明治美術会」を創立し 洋画の普及に努めましたキラキラ

 

 

 

洋画の発展は停滞したものの

 

日本文化の保護や発展は

フェノロサのおかげなんですね…キラキラ

 

 

 

 

 

 

出題:美術検定2級問題集ー応用編:アートの知見を広げる 美術出版社 2019

参考図書

改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術出版社 2019

続 西洋・日本美術史の基本 美術出版社 2018

増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 美術出版社 2020

芸術教養シリーズ2 飾りと遊びの豊かなかたち 日本の芸術史 造形篇II 栗本徳子編 幻冬舎 2013

 

 

 

 

 

ダイヤオレンジ六本木・21_21 DESIGN SIGHT  

企画展「クリストとジャンヌ=クロード”包まれた凱旋門”」

クリストとジャンヌ=クロードは、日用品から建築、自然景観までも、梱包によって作品化させたアーティスト音譜 この美術検定の問題にも登場していますねウインク

昨年9月 パリの凱旋門が布に包まれましたキラキラ 構想から60年に及ぶそのプロジェクトを紹介していますビックリマーク