昨日の続きですキラキラ

 

【資料】
江戸時代の工芸は、幕府の政策(A)による都市文化のもとで発展しました。新たなパトロン層や愛好家が出現した時代でもあります。陶磁器では有田焼や野々村仁清、尾形乾山(B)の登場が挙げられます。着物のデザインの流行が庶民にまで広がった(C)ことは、同時代の絵画の中にも見出せます。また、幸阿弥家などそれまで伝統的な蒔絵が家業として引き継がれいた漆工芸でも、新しい家の登場や作家の個性が目立つ作品が出現してきました。(D)

 

 

Q.254
下線部尾形乾山(B)のやきものの説明として適切なものは?

①山水や人物、花鳥など中国風の絵付けが多い。色絵技術の発展により、豪華な大皿や大壺なども焼くようになった。

②茶道具をおもに製作し、京焼ならではの雅な色絵装飾を施した。実用品であったやきものをみて楽しむものへと変化させた。

③銹絵や染付、色絵などで大胆な意匠、古典文学の意匠を採り入れ、透かし鉢や型作りの皿や向付ほか食器類を多く製作した。

④文人好みの中国磁器の写しや急須などの煎茶具をおもに製作した。型成形による煎茶道具や人形の量産にも取り組む。

 

尾形乾山 白泥染付金彩芒文蓋物

尾形乾山 《白泥染付金彩芒文蓋物》

(はくでい そめつけ きんさい すすきもん ふたもの)

18世紀 サントリー美術館

 

 

 

 

答え ③
銹絵(さびえ)や染付、色絵などで大胆な意匠、古典文学の意匠を採り入れ、透かし鉢や型作りの皿や食器類を多く製作した

 

 

尾形乾山(おがたけんざん/1663-1743)キラキラ

尾形光琳の弟です音譜


 

昨日の問題でみた有田では

江戸初期から磁器が生産されましたね目

中国磁器の影響がつよいものでした

 

京都では

江戸中期まで陶器が焼かれ

磁器がつくられるのは江戸後期になってからビックリマーク

 

京都で生産された陶磁器は総称して

「京焼」といわれます

 

有田焼と違って和様雅びなものキラキラ

 

こちらを大きく発展させたのが

色絵陶器を完成させた野々村仁清です(Q.232)

 

尾形乾山

この野々村仁清から色絵技法を学び

絵画と書の世界焼物に導入します照れキラキラ

 

 

尾形乾山

《銹絵十体和歌短冊皿》

(さびえ じってい わか たんざく ざら)

1743年 東京国立博物館

 

 

 

また古典的要素を生かしながら

自由な発想で

新しいデザインを生み出しましたキラキラ

 

 

尾形乾山

Ogata Kenzan, CC0, via Wikimedia Commons

 

 

 

《色絵竜田川文透彫反鉢》

(いろえたつたがわもんすかしぼりそりばち)

岡田美術館(神奈川) 重要文化財

出典『西洋・日本美術史の基本』(美術出版社)P.163

 

の樹を大胆に意匠化したもので

 

鉢の内外に色づき始めた紅葉を

内側には川の流水も表現

一部 透彫も施されキラキラ

 

使用者から見て

立体的なデザインとなるよう表現されていますビックリマーク

 

 

京焼でも個性的な陶工たちが活躍し

 

茶道具だった陶器

食器美術陶器として発展していきましたキラキラ

 

 

 

 

 

 

出題:美術検定2級問題集ー応用編:アートの知見を広げる 美術出版社 2019

参考図書

改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術出版社 2019

続 西洋・日本美術史の基本 美術出版社 2018

増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 美術出版社 2020

芸術教養シリーズ2 飾りと遊びの豊かなかたち 日本の芸術史 造形篇II 栗本徳子編 幻冬舎 2013