昨日の続きです
ロダン 《地獄の門》
国立西洋美術館
オーギュスト・ロダン(1840-1917)
1891年(51歳) 撮影ナダール
19世紀後半を代表するフランスの彫刻家
「近代彫刻の父」
ロダン以前の彫刻は
絵画ほどの時代の変化はなく
伝統に学んで
神々や神話などをテーマとしたものでした
そこに革新をもたらしたのがロダンです
徹底して写実的に彫り出して
情念や苦悩など
人間の豊かな感情を
自由にリアルに表現しました
初期の頃は
リアルすぎて人間から直接型を取ったと
非難されています
《地獄の門》は
パリ装飾美術館のために構想されたもの
ダンテの『神曲』にインスピレーションを
得たものでしたが
建設計画が白紙となり
制作中止の命令が…
しかりロダンは自らお金を払って
制作を続けました
ここから別の名作が生まれています
《考える人》ですね
《地獄の門》の上部…
Jean-Pierre Dalbéra from Paris, France, CC BY 2.0 , via Wikimedia Commons
1881-82
《弓を引くヘラクレス》
1909年 アングル美術館(フランス)
(1861-1929)
1925年(64歳の頃)
ブールデルも
近代ヨーロッパの代表的彫刻家
ギリシアのアルカイック彫刻や
盛期ゴシックの彫刻を研究して
そこから独自の作風を
確立した作家です
1893年(32歳)から15年間
ロダンの助手を務めています
《クレオパトラ》
たくましい表現力と
モニュメンタルな構想力を受け継いでいます
フレデリク・バルトルディ(1834-1904)
こちらもフランスの彫刻家
《自由の女神》 1886年 NY
バルトルディは
この《自由の女神》の制作者
(設計にはエッフェル塔で知られる
ビュスターヴ・エッフェルも関わっています)
像のデザインはドラクロワの
《民衆を導く自由の女神》と
バルトルディの母親をモデルにしたそう
寄付金を集めるために
1878年のパリ万博に
完成した頭部のみを展示
パリでの仮組み後
分解してアメリカへ運ばれています
19世紀の後半は ヨーロッパ各国で
大衆にナショナリズムを吹き込む手段として
モニュメント(記念碑)が多く制作されています
しかし やがて
個人の表現を追求していく流れの中で
モニュメントは下火になっていきました…
バルトルディ
ワシントンDCのバルトルディの噴水
出題:美術検定2級問題集ー応用編:アートの知見を広げる 美術出版社 2019
参考図書
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト (株)美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術出版社 2018
増補新装 カラー版 西洋美術史 美術出版社 2021
芸術教養シリーズ7 欧米のモダニズムとその後の運動 近現代の芸術史 造形篇I 林洋子編 幻冬舎 2013