千葉市中央区に鎮座されている千葉神社にお参りしました。
千葉神社は、北極星や北斗七星を崇める「妙見信仰」で有名なお社です。
もともとは中央アジアの遊牧民が北極星を神格化したのが始まりで、北極星は天空のなかで唯一動かない星ということから、天空から人を見守り、方角を示し、人の運命を司る神様として信仰されていました。その後、中国において道教や仏教の要素を取り入れて、「妙見菩薩」として日本に入ってきました。
「妙見」とは、「優れた視力」という意味があり、善悪や真理をよく見通す能力を意味します。また、妙見菩薩は目の病気の平癒にもご利益があるとされています。
平安時代末期に関東南部を広く治めていた千葉氏の祖である平良文が、常に妙見菩薩に祈願して大勝利を重ねたということもあって、上記の要素以外にも「軍神」としての性格も強く帯びるようになったようです。
そして、千葉経重の時代に、現在の千葉市中央区亥鼻の地に千葉氏の拠点が移り、千葉氏一族の守護神として、そして一族の結束の地として、妙見菩薩を本尊とする千葉妙見宮が建立されました。
明治時代の神仏分離により「千葉神社」へと改称され、御祭神は「北辰妙見尊星王」とされていますが、実質は妙見菩薩のことだと思います。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、千葉経重の子である常胤を岡本信人さんが演じていました。今までの歴史ドラマや映画では、さほど千葉氏にはスポットが当たらなかったような気がするのですが、岡本信人さんの飄々とした感じの演技で一躍、千葉氏の人気が上がったのではないでしょうか?
千葉常胤は、石橋山の合戦で敗れて安房に逃げてきた源頼朝を助けて、鎌倉幕府を開設するにあたり大きな功績をあげ、以来、千葉氏は有力御家人のひとつとなります。
千葉という地が、最初は千葉氏による亥鼻城の城下町であったことは今回初めて知りました。
ところが、時代は下って、千葉氏が戦国時代になって宗家が滅亡したあとは、千葉は千葉妙見宮の門前町として、細々と存在しているような街だったそうです。
しかしながら、明治以降は廃藩置県により、上総、下総、安房を合せた大きな面積の県に「千葉」という名が付けられ、千葉市がその県庁所在地となり、現在は大きな隆盛を誇っています。
千葉常胤もきっと草葉の陰から喜んでいることでしょう。そして、千葉市民にとって千葉神社は市民のアイデンティティーを感じられる場所かもしれません。
千葉神社の御朱印には、神紋で千葉氏の家紋でもある「月星」と「九曜紋」があしらわれています。