安養院(神奈川県) | yampoo 御朱印集めの旅 

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御朱印を集める旅を始めました。

北条政子にゆかりのお寺、鎌倉の安養院にお参りしました。

安養院とは政子の法名でもあります。

 

日本史に多大な影響を与えた女性としては、私は北条政子が一番だと思っています。

政子は源頼朝と恋仲となるも、一度は父親の北条時政の反対にあって、伊豆目代の山本兼隆に輿入れさせられます。しかし、政子は屋敷を抜け出して頼朝の元へ走ります。この話しは創作だという説もありますが、いずれにせよ政子の頼朝への愛情が並々ならぬものであることを物語っています。

この愛情がなければ、頼朝は北条氏の後ろ盾を得ることができず、鎌倉幕府は成立しなかったかもしれません。「武士の、武士による、武士のための」政権を東国の鎌倉に打ち立て、それ以来、日本は明治に至るまで武士による政権が続き、東アジアでは中国や朝鮮半島とは違い唯一、封建制度の道を歩むことになった大きな分岐点がこの鎌倉幕府成立です。

政子の頼朝への純粋な愛情が日本史を大きく転換したとも言えます。

 

そもそも、武士という階級の発生については日本における「土地制度」が深く関わっていて、武士とは元をただせば「武装農民集団」という言うことができます。時代を経るにつれて、血筋が尊い源氏とか平氏を中心に武士団が結成されることになります。

京の公家からすると、武士は殺し合いをする「穢れ」の対象であり、現代のイメージとして例えると「暴力団」のような存在だったと推測します。

「源氏組関東支部」とも言える鎌倉幕府は影響力を徐々に全国に広げ、一方では御家人による幕府内の権力闘争に明け暮れます。跡目争いをする組内の抗争のような感じですが、さしずめ北条政子は初代組長の妻で「極道の妻」にあたるのでないでしょうか?

そう言えば、大河ドラマ「草燃える」で北条政子役を演じていたのは岩下志麻さんでした。

 

昨年の「鎌倉殿の13人」では、小池栄子が「はまり役」でした。

承久の乱が起こり、動揺する御家人たちの結束を促す演説のシーンでは、あの有名な「故右大将軍(頼朝)のご恩は、山よりも高く、海よりも深い」という文言が書かれた原稿を読み上げるのを辞めて、自身の言葉で、「ここで、上皇様に従って、未来永劫、西の言いなりなるか、戦って板東武者の世を作るか、ならば答えは決まっています。」、続けて、上皇側は幕府が北条義時の首を差し出すものと考えていると訴えたうえで、「バカにするな、そんな卑怯者はこの板東にはいない!」と言い放ち、御家人たちは「ウォー」と一気にまとまります。そして、政子は義時に向かって微笑むのです。

長らく関東に住み、板東武者にシンパシーを感じている私にとっては、三谷幸喜のこの脚本には鳥肌が立ち、思わす拍手をしてしまいました。

 

コロナ禍が一段落し、鎌倉はインバウンドも含め多くの観光客で賑わっていました。特に鶴岡八幡宮や長谷寺、それから江ノ電の鎌倉高校前は大変なことになっていましたが、安養院の参拝客は私ひとりでひっそりとしていました。

本堂の裏手には、北条政子のお墓だと伝わる宝篋印搭が建っています。自分の子どもたちが次々に暗殺されるという、女性にとっては決して幸せな人生ではなかったとは思いますが、日本史のなかでとても輝ける存在だと思います。