岩木山神社(青森県) | yampoo 御朱印集めの旅 

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御朱印を集める旅を始めました。

約40年前に当時勤めていた会社の仕事で青森市まで出張に行ったことがあります。ちょうど真冬の時期で、確か東京から夜行列車に乗り、青森駅に着いたのは朝でした。周りには雪が降り積もり、ホームから続く線路の先にはちょっと赤錆びた青函連絡船の姿がありました。まさしく「津軽海峡冬景色」の世界だったことを覚えています。

 

それ以来、2回目の青森県訪問となりました。今回の目的は弘前市にある岩木山神社への参拝です。

九州生まれの私にとっては、津軽は馴染みが無く遠い異国のような存在です。しかし、津軽三味線やねぶた祭りに代表される当地の文化は、日本人なら誰にとっても魂を揺さぶられるソウルフルなものです。

 

弘前には秋田方面から車で高速道路を使い、夜に入りました。暗かったので、周りの風景とかは全く分からなかったのですが、翌日の朝になり、弘前はこういう所だったのかというのがよく理解できました。

予想とは少し違い、開放感たっぷりの津軽平野の中に独立峰として岩木山がどっしりと構える風景に感動を覚えました。

岩木山の山容は、真ん中に頂上があり、その両肩にもピークがあるという、我々がイメージする典型的な美しい山の形をしています。岩木山神社の参道はそのまま登山口となります。

 

古代から現在に至るまで、この地に住んでいる人達が岩木山を信仰の対象にするのは、至極自然なことで、岩木山神社の創建については宝亀(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされていますが、実はもっと古くから鎮座されていたのではないでしょうか?

主祭神は顕国魂神(うつしくにたまのかみ)で、津軽の地を開拓した神様です。この神様は大国主命の別名ともされています。

しかし、伊和神社編でも述べたように、ここで言う「大国主命」というのは固有名詞ではなく、それぞれの土地(豪族)の祖霊神を指しているのだと私は思っています。

 

神仏習合で、現在岩木山神社のある場所には百沢寺(ひゃったくじ)というお寺がありました。明治時代の神仏分離により寺院は廃止され、津軽総鎮守として岩木山神社が再スタートするわけですが、御朱印にもある「北門鎮守」とは、もしかしたらロシアを意識したものかもしれません。

 

私が訪れたのは3月中旬で、まだ境内には1m程の雪が積もっており、ちょうど除雪作業が行われているところでした。また、弘前を本拠地にしているサッカーチームの戦勝祈願でしょうか、お揃いのスーツ姿の一行を見かけました。

 

帰途のためにナビをセットすると、丘陵地を通るルートが選択されたのですが、そのルート沿いの道路の両側には青森の代名詞と言えるりんご畑が大きく広がっていました。

左手に岩木山、右手には遠く八甲田山系、そしてその間に津軽平野という壮大な風景を見ることができ、「津軽」を大いに体感した御朱印の旅でした。次回は桜が満開の弘前城を見に来たいです。