足利織姫(あしかがおりひめ)神社は足利市街地を一望できる織姫山の中腹にあります。
境内からの夜景の眺めもきれいなことから、2014年に「恋人の聖地」として選定されています、
恋人の聖地とは、NPO「地域活性化支援センター」が主催する「恋人の聖地プロジェクト」により選定された観光スポットで、少子化対策と地域活性化への貢献を目的としているそうです。
「恋人の聖地」という似たようなモニュメントが全国あちこちにあるなと思っていたら、こういうプロジェクトが進行していたのですね。
神社の御由緒によると、足利は1200年以上の伝統と歴史をもつ足利織物の産地です。
1705年(宝永2年)に、徳川6代将軍家宣の御側役だった戸田忠時が甲斐国から、この足利に移封された際に、織物の産地でありながら守り神を祀る神社が無いということで創建されたのが、足利織姫神社です。
さて、足利と言えば、やはり足利家の故地ということになります。
平安末期に絶大なる人気を誇った八幡太郎義家(源義家)の孫にあたる義康が足利荘に住み着いて「足利」を名乗ったのが始まりです。
鎌倉時代には、源氏のプライドというのはあったのでしょうが、有力御家人として北条得宗家に忠誠を誓います。
足利家は上総や三河とかの守護も務め、吉良氏、斯波氏、細川氏や今川氏など多くの庶流を生み、一族は全国に広がるようになりました。
そして、足利8代目棟梁・尊氏の時代を迎えます。
尊氏は当初は後醍醐天皇側に付き、鎌倉幕府を倒し、建武の新政に参加します。しかし、朝廷の政治は多くの武士の不満を招く結果となり、尊氏は中先代の乱を機に、後醍醐天皇側から離反した後、光明天皇から征夷大将軍に任ぜられ京都に室町幕府を開いたことは、皆さんご存知のとおりです。
室町時代は応仁の乱から戦国時代に続くという、ちょっと暗い感じのイメージですけど、この時代に日本建築の基礎が出来上がり、日本独特の能や華道、茶道といった文化・芸術が花開いたということは特筆すべきだと思います。
そういった日本史に大きな影響を与えた足利氏のもともとの本貫地である栃木県足利市はもっと人気があって然るべきではないでしょうか?
北関東は養蚕が盛んな地域でした。戦後、繊維産業は海外からの安い製品におされ廃業を余儀なくされますが、替わって精密機械加工が盛んになってきました。
足利織姫神社は、そういった地域産業の振興を見守り続けています。



