鹿児島神宮(鹿児島県) | yampoo 御朱印集めの旅 

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御朱印を集める旅を始めました。

大隅国の一之宮は鹿児島県隼人町に鎮座されている鹿児島神宮です。

私にとって鹿児島神宮は謎多き神社です。そもそも大隅国の一之宮なのにどうして「鹿児島神宮」という社号なのかということです。隼人町や近くの国分市は完全に大隅に入ります。

現在の鹿児島市あたりをかつて鹿児島郡と呼んでいたことについては、昔の文献からも確認されているようで、鹿児島神宮が鹿児島市にあって薩摩国の一之宮ということであれば辻褄が合うのですが。

 

鹿児島という名前の由来は諸説あり、「かご」とは「崖」の意味で、鹿児島とは本来「桜島」のことではないかという説がります。また、薩摩半島と大隅半島に囲まれている火山島だから「かこしま⇒かごしま」ではないかという説もあります。しかし、私にとってはちょっと説得力がありません。

鹿児島を文字どおり解釈すると「鹿の子どもの島」ということになりますが、もともと鹿が多く生息している土地柄という訳でもありません。

やはり、このブログの「息栖神社」編で述べたように、現在の茨城県の鹿島地方の人たちが、隼人町あたりに移り住んだから「鹿島の子孫」ということで「鹿児島」と名付けられたのではないかというのが私の持論です。ちなみに鹿島神宮には鹿が多く飼われています。ある宮司さんからお聴きしたのですが、古代は鹿が貴重な食料だったとのことです。

 

鹿児島神宮には「正八幡」という扁額が掲げられています。

八幡愚童訓という書物のなかで、震旦国(中国)の大王の娘が7歳のとき、朝日が胸を突き、懐妊して王子を産んだとあります。臣下達はこれを怪しみ、王子を空船に乗せたのですが、この船が大隅の磯に漂着しました。人々がこの王子を「八幡」と名付けたのが始まりです。その後は八幡神は宇佐に移り、最終的に京都の男山に鎮座され、石清水八幡宮となっています。したがって、鹿児島神宮は八幡宮の根本社ということになり、「正八幡」とも呼ばれているのです。

 

ですが、主祭神は天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)、つまり山幸彦のことです。山幸彦は霧島に天孫降臨した瓊瓊杵尊の子どもなので、枚聞神社もそうですが、鹿児島には海幸彦・山幸彦の伝説が多く残っています。

後に八幡神と関係があるということで、応神天皇と母親の神功皇后を合祀するという形になったそうです。何故、応神天皇が「八幡大神」と呼ばれるのかについては、まだ理解できていません。

 

私は鹿児島神宮は社号からして、新しい神社なのだろうと長らく大きな勘違いをしていました。今回、全国一之宮巡礼の旅でお参りして、こんなに面白い神社はないと思うようになりました。