https://news.yahoo.co.jp/articles/d6300d702d6f10934890cd6e8cfef82e22481c01

✳︎改題しました


阿部詩ちゃん

慟哭…と言ったらよいのか

咆哮…と呼ぶべきか…


パリ五輪での敗戦

お腹の底から泣き叫ぶ姿は記憶に新しく

胸が痛む


コーチに宥められても

泣き崩れたまま

足腰も立たず、ただ泣き叫んでいた詩ちゃん

会場に居た観客達が一つになって「UTA❗️UTA❗️…」とコールする

そのシーンを観て

私は涙が止まらなくなってしまった


賛否両論はあるだろう

アスリートたる者が…と、批判もあったのだろう


だけど…


何もわからない部外者が

それを叩くのはどうかと思う


満身創痍だったからこそ

怪我を回避する為に

敢えてランキング上げの為の試合を重ねなかったこと

シードを失い予選から出場する事になっても

オリンピックに照準を合わせて

鍛錬を重ねてきた事


それが彼女の選択ならそれで良いではないか

そういった事を穿り出し

敗戦に重ねて責めるなんてナンセンス

ド素人達の語る単なる結果論


オリンピックにかけていた思いは

彼女の慟哭を見ればわかる筈

それに揺り動かされず

思いやりもせず

一般論を振りかざし上から目線で語る人は、自分の経験値が低くて浅いのではないかと(申し訳ないけれど)思ってしまう

否定的に思うのは自由

〈自分ならやらない。グッと堪えてその場を凌ぎ、あとで一人で泣き叫ぶ〉

それが自分の美学であるならそれはそれで素晴らしいこと

でも…

そう心で思うだけで良いではないか、と。

せめて口をつぐんでいてくれ、と。


心砕けた経験のある人なら

限界まで頑張った経験のある人なら

彼女のどうしようもない無念さ

慟哭も咆哮も全部受け止められる気がする


何も知らない人間が

わけ知り顔で…

知ったかぶりで語れるほど

やってきた事は

薄っぺらじゃないんだよ…と

そんな風に思った


詩ちゃんには本当に本当に申し訳ないが

思わず、自分の姿と重ねてしまった


世界で一番信頼していた人間に裏切られ

やってきた全てを否定され

全てを失ったと思い、崩れ落ちたあの日


泣いても始まらないのに

私は常識ある大人なのに

泣いて狂うしかなかった


全く理由は違うのに

どうにもならない

絶望感、心の断末魔の叫び

痛いほどわかる



だけど、詩ちゃん…

良かれと思ってやった事が

時に逆の結果を生むこともある


でもね…

この経験がいつかきっと生きる時が来るよ

あれがあったから、今があるんだ…と言える日が

必ず来るから

自分を否定せず

また顔を上げて頑張りましょう



私も頑張るよ…