「救急車に乗れるのは一人で、

後の方は、救急車の後についてきてください」

と言われた。




葉さんが救急車に乗ってくれるというので、

(私もちょっと乗りたかったんだけど)


私は、小林社長とともに、

自分の車で、病院に向かう。




ボディビルは一人で出来ない競技だなと

痛感した瞬間




今回、小林社長も葉さんもいなかったら、

私、めちゃ不安だった。




運転の最中に、山本博士から

「清水君、救急車で運ばれたって聞いたけど」

と連絡が入ったので、状況を説明する。




15分で、病院に到着。




ここでも一人しか、

エマージェンシールームに入れないというので

交替で、清水君に会って、

今後の話や保険の話をする。




その後検査に2時間かかるというので、

我々はどうするかと話したとき

超空腹だったことに気が付く。




時間は既に3時近い。




清水君は病院に入って、

生理食塩水の点滴をされている。

脱水症状はそれで急に良くなるはずだ。





私達もランチに行くことにした。





結局、清水君は、病院に一泊となった。






翌朝、

「手続きがあるので、病院を出られるのは

お昼過ぎだと思う。」

と清水君から連絡が入った。




タクシーでホテルに帰れるというので、

一人で帰ってもらった。

今はホテルでやけ食いをしているらしい。






今回感じたのは、

ボディビルは決して個人競技ではない。




みんなチームを組んで、活動している。



私もその昔はチームミロスの一員で、

今は、チームヒデで動いている。




大会の申込用紙にも、

所属チームを書く欄がある。




コンディションの限界まで追い詰める

ボディビルに

一人で挑戦するのは、ほんとうに危険だ。





アメフトの試合も怪我することが多いので、

アウエイの試合に一人で運転して来ないよう

誰かと一緒の車で来るよう、

選手達には言っている。




私がサンディエゴで、膝を切って縫った時も

LAからのバン同乗のメンバーは、

「私達はチームでしょ」

と私の縫合を待っていてくれた。



その日の飛行機に乗らなきゃならない選手も居たのに。



そしてその時から、LAチームは、

121クルー(距離が121マイルだったので)

と呼ばれるようになった。




今回の大会で、

ルーキー・マサシ君は、

チームヒデとして、私がサポートに入った。




マスターズ・アキさんのサポートは、

来年挑戦したいという吉田さんが買ってでた




そして、ミスターLAたちの夏4に

登場する内藤さんは、

毎年奥様が献身的にサポートしている。





ボディビルの挑戦は、

絶対にサポーターが必要だと痛感した

この出来事だった。




清水君、早く体調を戻して、

エマージェンシー対策をきちんととって、

次の目標に向かって頑張ってください。