祖母が亡くなり、

日本にちょっとだけ帰国していました。



子供のころから、両親が働いていたので、


小学校が終わると、

歩いて、祖父母の家に帰り、

そこで、おやつを食べたり、

友達と遊んだり、塾に通ったりして・・・

夜、母が車で迎えに来てくれるという生活を

ずっと送っていました。



我が家の家系は、私を除いて皆働き者なので、

祖父も亡くなる直前、80歳過ぎまで、

祖母も東北地方太平洋沖地震の日まで

93歳まで、働いていました。



祖母は面倒身が良くて、

みんなが喜ぶ事が大好きだったので、

老いてからも、よく歩いて、アメ横まで行っては

安かったからと、たくさんの食材を買っては

親戚中に配っていました。



私たちとしては、ひと山1000円のリンゴじゃなくて

一個1000円のリンゴを祖父母に食べて欲しかったのにね。



新しいものも好きだったので、

小さいときから、アメ横で買った

パパイヤやマンゴなんかを普通に食べさせてもらってました。



湯沸かしポットを一番最初に買ったのも祖母で、

「これは便利!」と言って

親戚中に買ってくれました。



私が

「あと1年待てば、もっと安くなるから」

と言うと、

「一年間、便利な思いが出来て、

 話のタネになれば安いものよ」と

事もなげに言われてしまいました。



その昔、近所で一番最初に

TVを買ったのが祖父ってよく言われたけど、

祖母だったのかもしれません。



面倒身の良かった祖母は

老いるにつれてどんどん、心配性になり、

特に私は、一番心配されていました。




日本に居た時は、意外と綺麗な格好をしていたのに、

アメリカに住むようになって、

GパンにTシャツが多くなり、

更には、穴のあいたGパンですからね、、、



最後まで、私が心配の種だったのかもしれません。



90歳過ぎてもずっと元気だった祖母は、


「なんか体調悪いんだけど、

これが年のせいなのか、なんでなのかわからないのよね。

なんと言っても、年取るのって初めてだから。」



「なんか腰痛いんだけど、

これが年のせいなのかわからないのよね、

なんと言っても年取るの初めてだから」



といつも悩んでおりました。



さすが、私の祖母です。





最後は、シンガポール、インド、北海道から

親戚が全員集まり、

96歳で大往生した祖母を見送ることができました。




ご連絡、ご挨拶をいただいた皆さん、

ありがとうございました。