福島原子力発電所の問題以来、原子力発電所や放射能関係の専門家と称する輩が連日テレビに登場して様々な意見を述べている。ただでさえ、総理官邸から枝野さんが登場して原発の状況や、周辺地区の避難に関する情報を述べ、原子力安全保安院では西山さんという怪しい頭髪のオジサンが笑顔を浮かべながらわけのわからないことをしゃべり、東京電力は幹部社員が「出来る限り早期に可能な限りのことをする!」といいながら頭を下げ続け、実際は何もしないという日々が続いている。それに加えてTV各社がどこから連れてきたのかわからない自称専門家を引っ張り出してきて、それぞれが勝手な事を言うものだから、益々わけがわからなくなり、混乱が増長する。そんなことをやっているから「本当はもっと危ない事態なのにそれを隠して無難な話をしている」と異様な風説が流れるようになる。当たり前だと思う。その様な風聞を呼んでいる現況が、本件に対する情報の出し方の酷さから来ているのだ。


問題にしたいのは二点。国の危機管理体制の立て直しと、無責任すぎる専門家たちの行動や発言である。


災害そのものの規模がどれほど想定外であろうと、ある分野で何かあった場合のスポークスマンを誰にするか、これを決めておくことは確実に出来たであろう。原発災害に関して言えばこれは確実に原子力安全委員会の斑目先生しかありえない。このことは同委員会のHPを見れば一目瞭然である「原子力を安全に利用するための国による規制は、直接的には経済産業省、文部科学省等の行政機関によって行われていますが、原子力安全委員会は、これらから独立した中立的な立場で、国による安全規制についての基本的な考え方を決定し、行政機関ならびに事業者を指導する役割を担っています。このため、内閣総理大臣を通じた関係行政機関への勧告権を有するなど、通常の審議会にはない強い権限を持っています。」ときた。ところが、現実には上記のような支離滅裂な騒ぎになり、肝心の斑目さんはその間どこにいたかと言えば、総理官邸に監禁されて、菅総理へのアドバイザーと化していたそうだ。このことを持ってしても、如何に我が国日本の危機管理体制が悲しくなるほどにお粗末かがわかる。


言われてみると当たり前なのだが、現在生じている問題の関連では3つの異なる分野の専門家がいる。1つは原子力発電に関する専門家で、物理系、工学系の人たちである。2番目が放射線治療の専門家で、病院の放射線科で治療や検査を担当している専門家や研究者である。そして最後が放射線災害の専門家で、何らかの原因で漏れ出た放射線が人体に及ぼす影響の専門家である。この3分野はどれも非常に異なる、高い専門性を要求される分野であり(もちろんベースとなる共通の知識は必要だろうが)、一人の人間が専門分野として全体を把握する事はまず不可能である。にも関わらず、1の専門家が食品の安全性や、特定の場所の放射能カウントが子供たちの健康に及ぼす影響に言及したり、いい加減な発言が多すぎる。それらが科学的に正しい知識ならばまだしも、主観的ないい加減な根拠の物が多いとなれば極めて罪深い。


原子力関連の研究者はどこから研究資金を得ているかと言うと、国や電力会社いずれも原発推進派の金なのだ。その研究資金で長年潤ってきた研究者はこの期に及んでも原発政策を擁護せざるを得ない。一方で、原発の安全性に懸念を抱いていた研究者の仕事には誰も資金を提供せずに、積年の恨みが有ったに違いない。彼らにとって、今回の福島の事故は千載一遇のチャンスなのであろう。この機会に「恨み晴らさで置くべきか~」と言うわけだろう。何も知らぬまま、翻弄される国民はいい迷惑である。

東日本大震災で大変な目にあわれた方々、今でも地震や津波、火災のせいで自宅に戻れずもしくは自宅が被災し、避難所最活を送っている被災者のみなさま、お見舞い申し上げます。また、原子力発電所の問題で自宅に戻れず、避難されている福島の皆さま、大変なご苦労をされていることに深い悲しみをおぼえております。


震災後、日本の様子が海外に報道されるにつれて、日本に対する評価が大きく上がった部分と下がった部分が有るように感じられる。上がった部分は日本人、特に被災地である東北の人々の勇気、根気、物事を前向きにとらえる資質と行動の素晴らしさである。また、被災された人々に何らかの手を差し伸べようと各地から医療スタッフや民間人ボランティアが駆け付け、助け合っている美しい姿である。自分では被災地にボランティアに行けないからとせめてもの行動として赤十字に寄付をしたり、都内にある被災県のアンテナショップで積極的に買い物をし、釣銭を義援金箱に投入する人々の姿である。これらの活動には同じ日本人として誇らしい気持ちになったし、どれだけ褒めても褒めきれない素晴らしいものであると感じている。


一方、ダメダメなのはまず、首相官邸、リーダーシップのなさにあきれる。また、大規模災害についての準備のお粗末さにもあきれる。国のトップが真っ先にするべきだった事は真っ先に会見を開き、この未曾有の大災害について、都道府県や地方自治体に任せるのではなく、国が全体を引っ張って復興するまで被災された国民の皆さんを守る、という力強い言葉であっただろう。米国を始め、各国の首脳であれば必ずやその様な行動に出たであろう。なぜ日本のトップにそれができないのか?わからない。


次にダメなのは原発対策。官邸、経済産業省、東京電力本社である。発表内容がバラバラで分かりにくく、ひたすら国民の不安をあおる内容の情報の断片を何週間にもわたって垂れ流した。このような無責任な情報開示方法が後に述べる無責任なメディア報道の元凶と考える。情報提供窓口を原子力安全委員会に絞って、もっとわかりやすい提供ができないものだろうか?


最後にだめなのが、マスコミ。特に無責任に恐怖訴求を行った一部の週刊誌報道である。中でもAERAの3月18日号「放射能がくる」が防塵マスクの男性とともにおどろおどろしく描かれている様は最悪。この手の報道でいたずらに恐怖をあおり、国民の不安を掻き立てた。このような報道が、生活必需品の買占めや、その後に海外から日本製品に対する差別を生んでいることが分からないのだろうか?福島で避難されている人々の心をどれほど深く傷つけているか想像できないのだろうか?海外から製品の放射能計測を義務ずけられているメーカーはそのための費用をAERAに請求すべきである。この記事で傷ついた人々はAERAから慰謝料を取り立てるべきである。実際にその様な事でお金が取れるとは思えないが、そのニュースをリリースして他の媒体がどのように取り上げるか見てみたいものだ。多分報道しないであろうが、そのもたれあい体質をさらに議論対象とすべきである。


それでも、このようなセンセーショナルな本は売れてしまうのだ。というか、売れるからこのような非道な雑誌をだすのだ。現にこのAERAはあっという間に売り切れたそうだ。みなさん、このような本を見たら絶対に買うのは辞めましょう。決して買わない事。コンビニで立ち読みしてください。そして、周りの人々にも、買わないように言いましょう。返本の山を作らせるのです。それ以外のこのような悪辣な報道を止める方法はないのだから。


AERAはその後、これに関して謝罪したそうだ。ツイッターという手段を使って。なんという卑怯な態度であろうか。AERAで不快な思いをした人々にツイッターで謝罪するとは、卑怯以外の何物でもない。私は朝日新聞にも何人も友人の記者がいる。彼らはきちんと取材をし、そして良い記事をたくさん書いている。それらの良い記者を私は尊敬している。でも、どんなに良い記事を書いても私が朝日新聞をお金そ出して買う事はない。会社としてのあまりにも酷い、卑怯な態度が改まらない限り。


人間誰でも間違ったり、行き過ぎた行為をすることはある。間違ったとわかったら素直に非を認め、上手に謝罪するのが大人のするべきことである。これは企業でも同じ。メディアも例外ではないはずです。私に購読してもらいたかったら、上手に謝罪できるメディアになってください。その様なメディアであればいくらでも応援しますし、守ります。



私は理科系人間なので、昔から数字に親しんできたし、数字が好きである。それは純粋に科学、数学の世界で取り扱う数字の意味であって、数字そのものに社会的意味や、政治的意味合いが有る場合はちょっと事情が変わって来る。


これだけでは何が言いたいのかわからないと思うので例をあげよう。3.11以来、世界中を騒がせている福島第一原子力発電所に関わる数字である。まず、情報提供する組織が総理官邸、原子力安全委員会、経済産業省の原子力安全保安院、そして東京電力と4つもあり、それぞれからあまりにも性質の異なる様々な数字が何の説明もなく飛び出して、それぞれをわかってるんだかわかってないんだかそれすらも怪しい連中がテレビの画面の中でああでもない、こうでもないと何ら説明になっていない解説を振りかざす。結果的にわけのわからない一般国民は「あのあたりの野菜が危ない」とか「どこそこの水が汚染されている」とか「茨城の魚は食べられない」等々、本当に知らなくてはいけない真実とはまったく異なる風聞を信じ、仲間に伝え、結果的には不買運動と同じようなことが起こり、風評被害が広まる。さらに風評被害に苦しむ生産農家や漁師の姿が報道されると更に話に尾ヒレはひれがついて広まり、状況が悪化するという寸法だ。


この時の政府の対策の切り札は、担当の大臣がマスコミの前でその生産物を食べてみせると言うことなのだからばかばかしくて怒る気にもならない。国民を混乱させるためにわざとやっているのはとすら疑いたくなる。


数字の意味がわかっていないのであれば数字はいたずらに出すべきではない。新聞記事を本当っぽく見せるために、数字を引用するのは辞めた方がよい。書いている記者だって自分の書いている意味が十分に理解できていないではないか。


特に規制とか基準に使われる数字はその基準が生まれた歴史的背景が有ることを知らなくてはいけない。決める過程でスケジュールが押していれば、より厳しい、安全な方に走るであろう。過去に会った基準で全ての基準を守っていたのに基準をはずすものが1つでも出てくれば、基準はやはりより厳しい方向にずれる。


その一方で分析技術の進歩が有る。かつては微量過ぎて測ることのできなかったものが、今の技術をもってすれば測定可能になっているものはいくらでもある。それはより危険が増していることと同義か?否である。


また、単に測っていなかったという事もある。皆さんは世界中のありとあらゆる地点で常日頃から放射線量の測定が行われており、監視されているとお考えだろうか?否である。放射能を定期的に測定している地点など、ほとんどない。一方で、結果に関われず、測れば何らかのデータは得られる。そしてそのデータはどの程度危険の指標であるか、一切評価されることなく、公表され、危険なイメージで世界に伝わっていく。公表されたデータは嘘か?そんなことはない、事実である。でもその事実は真実とはかけ離れたメッセージを世の中に送り届けるのだ。