私は報道で見たり、現地で活動されている方々のブログ等で読んだだけであるが東日本大震災の被災者に知する支援を見ていると、今の政権にはこの難局を乗り切る能力はないと思えて仕方がない。これはとても悲しいことであり、今の政権選んだ責任が我々国民にあることに大きな責任と反省を感じている。


一方で世界のメディアはこれほどの大きな災厄に見舞われたにも関わらず冷静に対応している日本国民、特に当方地方の方々の人間性、がまん強さ、互いを尊重する姿勢に驚き、尊敬し、深く感銘を受けている。これはとてもうれしいことであり、忘れられていた日本人としての誇りが多くの国民の中によみがえってきているのであろう。


前者の話をすると、震災から1カ月も経過しているのに、現場からのレポートは悲惨なものが多い。テレビ中継で見る支援の輪が広がってお互いに助け合って生活をしている美しい被災者の姿が全てであるとは到底考えられない。テレビ中継が入る先はきっと全体の中のわずかな場所に過ぎず、忘れ去られ、置き去りにされている人々が数多くいるようである。


置き去りにされている人々は自分で選択してその場に残っている方がいるのも事実であろう。地元を離れたくないとか、年老いた親が移住に耐えられないとか様々な理由はあるであろう。でも、憲法で保障されている健康で文化的な最低限度の生活はどうなった?そこまでの支援をすることは国が真っ先にやるべきことではないのか?これができていない今の政府には存在する意味が見いだせない。菅さん、悪いがあなたには辞めてもらいたい。辞めて、支援物資を持って被災地に行ってボランティア活動をしてもらいたい。国民の苦悩を理解してその立場に立った決断を何もできないあなたが一番役立つのはそれぐらいです。


さらに、被災地の中で大きく生じている異常な格差が有る。津波がおそった地点と、そのちょっと上にある地点ではほんの数メートル離れて、全てを失った世界と、ライフラインさえ復活すれば震災前と何ら変わることのない世界が混在している。被災しなくて良かったね、とかそんな単純なものじゃないだろう。両者にとってこの格差は耐えがたいほど生活しにくいものであろうことは推測に難くない。すなわちどちらにしても相手に合わせる顔がない、すなわちコミュニティに大きなギャップが生じる。 だからこそ、早く決断し、早く動かなくてはいけないのだ。日本のコミュニティを、国民の結束力が壊れてしまう前に。



近頃、大震災に絡んで、「想定外」という言葉をよく聞く。確かに今回東日本を襲った大変な災害は今までの想定を超えた大きなものだったのだろう。しかしである、全てが想定外で済ませてしまう事には大きな問題が有るのではないだろうか。今回の大震災で想定外だったものは津波の大きさだけであるはずだ。


たとえば地震。日本は地震大国なのだから、いつかは大きな震災がやってくるという事は誰でもわかっている事でこれに備えて様々な震災訓練が行われてきた。事実、津波のこなかった地域での自身のの者による被害はよくぞ耐えたと驚くほどで、さすが日本の耐震設計は大したものだと考えさせられた。たとえば仙台市や福島市、郡山市の市街地がそうである。


一方でさすがと言い難いものもある。東京電力福島原子力発電所のことである。地震もしくは津波によって全ての電源が断たれる、バックアップディーゼル発電機と燃料タンクが失われるということはそれほどに想定できないことなのだろうか?今現実に福島で起きていることがそれほどに想定できないことなのだろうか?もしそうであれば、その人々には原子力発電所を運営する資質はないと断言したい。自分たちが今運用しているものがどういうもので、最悪の場合どのような被害をもたらす可能性が有るかという事が理解できていない人々にリスク管理をお任せするわけにはいかない。


そもそも、原発の設計にあたって十分なリスクマネジメントができていたのであろうか?基本設計は米GEによると聞いているが、その設計は、津波に襲われる可能性のある海辺に建設する事を想定したものだったのだろうか?また、予備電源が原子炉建屋やタービン建屋と隣接して配置されていたことはどうなのだろうか?非常時のバックアップ電源であればこそ、いかなる地震、台風、津波が来ても大丈夫なところに配置するべきであったかもしくは移動できる構造になっていなければおかしいのではないか?それらの設計施工の過程で、安全性よりもコストを重視した設計になっていなかったか?また、震災後の対応に関しても。あわよくば再び稼働させて稼ごうという思いが優先したために、被害状況を過剰に軽視して、海水注入のような非常手段の開始が遅れたことはないのだろうか?これらの点は今後十分に検証されるべきである。


その様な事態に備えて海上から電力を供給するための電力供給船、海上発電艦のようなことが準備できなかったのだろうか?災害が有ったらいち早く現場(電力が供給されなくなった原発)に駆けつけて電力供給を行うのである。このような船は原発でなくても津波による被災地に赴いて、ライフラインの復旧に大いに貢献できると考えられる。


小松左京氏は1973年に「日本沈没」を著しているいる。日本が沈没する事に比べれば今回の被害は小さいではないか。イマジネーションさえあれば今回のような災害は十分想定できたのではないだろうか?そういったところから、前述のような災害支援艦のような構想は生まれる。日本の平時においては海外に派遣して海外の被災地で活躍したら良い。日本の本来持っている基本的な技術を十分有効活用する事が出来る、この艦自身の同ry苦言は無論原子力である。


日本がこのまま電力供給に原子力を活用せざるを得ない時代がしばらく続くのだとしたら、このような形で社会貢献している原子力の姿を世界に見せる必要が有る。さもないと、原子力発電反対派の圧力に抗しきれなくなり、火力や水力に頼らざるを得なくない、化石燃料の消費は加速度的に増え、地球温暖化ガスの放出量は増え続け、人類終焉の日は近づくのだ。


東京都水道局が3月23日の昼ごろにに金町浄水場の水から暫定基準値を超える放射能を検出したと発表してからわずか数時間のうちに東京の店と言う店、販売機と言う販売機からPETボトルの水が消えた。全て消費者が買い占めたのだと思われる。消費者パワー恐るべしである。しかも翌日から、都で備蓄している水を乳児のいる家庭に無料で配布するという策を発表したことが、余計に事をあらだてたと考えられる。(通常は動きの遅い)行政が直ちに動かなければならないほど、大変なことなのかと。未だにPETボトルの水に関しては正常な流通が回復していない。


では、水はないのかと言うと、そんなことはないのである。商売上水を必要としている人々は飲食店肇井からでもおり、それらの人々に聞くと、購入実績が有る店は通常通り販売してもらえたし、供給が途切れることはなかったという。ある飲み屋ではお土産に500mlボトルをくれたほどである((笑))。 この事を見て思ったのは、まずはパニックを起こした時の人々の行動の早さと凄さである。


大変不謹慎な言い方であるが、これを販売促進のツールとして位置付けた時に、これほど有効な手法はないだろうという事である。不良在庫を一掃してあまりある需要が一瞬の内に生まれ、値段が不当に高かろうが、消費期限が迫っていようが、一切関係なしに物が飛ぶように売れるのである。これも人の手による津波のようだと感じられて怖くなった。


そもそも暫定基準値とはどのような根拠の値なのか?どのような歴史的背景を持って生まれてきたのか?暫定基準を超える水を消費するとどのような不都合が有るのか?そのようなことはいっさい議論されずに、ただただ数字が独り歩きする怖さ。世界にはもっとずっと危険な水を常用している人々が何億人もいるというのに。


さらに、東京都は平時から浄水場の放射線測定を測定していたのか?という疑問もある。今回と同程度の放射能による汚染はは過去に何度も有ったのではないだろうか?たとえば1960年代の米ソ核実験の時、その後の中国による核実験の時、そしてチェルノブイリ原発事故の時。ただ、これらの時代にだれも測定しなかっただけではないのか?


みなさんには、このような事態の直面しても慌てふためくことなく、冷静に対処してほしい。そして数字が発表されたのであればそれの意味するところを十分に吟味した上で行動をしてほしい。本当に水を必要な人々の手に円滑に届けるためにも。