愚痴ブログを読んでいただき、いつもありがとうございますおねがい

書きたいことがあったのですが、下調べに時間がかかりそうなので、少しつぶやきです。

 

 

今朝、息子が最初に治療した病院のホームページを見ました。

「このお知らせ、前に見たなぁ」と思うものがいくつもあり、それは今年度になってからのお知らせだったりして。

見る必要も無いのに私、頻繁に見てるのかも、と自分で思いました泣き笑い

 

お知らせには、職員求人も。

息子へ差し入れに行くと、検査や売店への買い物へ行く患者さんをサポートするスタッフの方を見かけました。

息子も、検査や外来へ車椅子移動の時など、よく同じスタッフの方が付いてくださってました。

そういうスタッフさんの求人もあり、そのスタッフになればコロナ禍で面会禁止の時でも息子に会えるのかな?、と、当時も思った覚えがあります。

 

 

今度、新病棟への引っ越しがあるそうで。

入院した3年前も、工事は始まっていた。

外来棟になるって聞いた気がするけど、病棟なのね。

 

1年半前の息子のアパート引き払いの時に病院へ挨拶に行き、息子が入院していた病棟フロアのロビーにも行ってみた。

窓の外に見えるのは、同じ階にあるドクターヘリのヘリポート、その向こうに独立峰⛰️

ヘリポートの向こうに新病棟建設中で、挨拶に行った時には外観はヘリポートより高くなり、山は見えなくて、進学先へ行くと病院以外からもいつも眺めていたので残念、息子のことに関係あるのかも?とちょっとショック・・・

 

腹痛で入院したらコロナ禍でいきなり面会できない毎日、おなかの腫瘍のため絶食、病名を確定できるマーカーは反応が出ないため続く検査、終わってから痛くてたまらなかった生検の手術・・・

夜、主治医が車椅子に付き添ってくれて、ロビーの窓から夜景を眺めたそう🌙

 

他の先生方も、看護師さんも、メンタル対応のスタッフさんも優しかった。

仕事だから、と言う人もいるかもしれないけれど、講義履修のことなど相談した息子の大学の事務担当の方や担任の先生(は地元出身ではなかったけど)も、対応は優しく親切で、夫も〇〇市の人は優しいなぁ!と驚いていた。

 

セカンドラインのTIPがつらく、その入院前に少し帰省したせいもあったのか、地元に帰りたいと言った息子。

マーカー増加が落ち着かず、主治医から「このまま悪くなると移動できなくなるかも」と言われたことを私自身がよくわかっていなくて焦ってしまい、1クール目途中で地元に転院(今なら、どのくらいの時間のスパンでどんな感じで悪くなっていくのか、残念ながらわかる)。

夫は、むこうの皆さんは優しいから転院しないほうがいいんじゃないか、と言った。

でも、息子が帰りたいと言ってる、と私。

転院したって家で元気に過ごすわけもなく、またコロナ面会制限でさみしい思いをさせてしまったのに。

 

その後マーカーは落ち着いてきたので、1クールは様子を見れば良かった(主治医からはそれも有りと言われたのに)。

 

GW直前に転院しても、GW明けまで治療は無し、引き続き絶食、痛み止め程度。

することが無い、という息子に「友達は休みだから電話してみたらどうかな」と提案したら、グループ通話して楽しかった、と喜んでくれた。

友達と電話しても途中で具合が悪くなると悪いから、と言っていて、自分からは電話しづらかったらしい。

みんな忙しいから、という思いもあったようで、LINEであらかじめグループ通話の約束をしていたようだけれど、1対1でも分かり合える友達もいたのだから自分から連絡してもよかったのに・・・

昔から、友達のほうから積極的に来てくれる人のほうが気が楽な様子だった。。。

 

 

入院中に差し入れに行っても会えないので、寝ていると悪いなと思って、まずはLINE。

差し入れを受け取ったとすぐ返事があれば、起きているので電話、でも毎回じゃなかったかも。

もっと電話してあげるんだった。

 

転院してから治療の効果はあり、7月までは希望がありました。

下旬に退院し、翌日に発熱して再入院。

CVポートから感染?と最初は言われたけれど、:検査してもそうではなかった。

身体が弱ってきていたのかな・・・

腫瘍も少し大きくなっていると話はあったけれど、前の病院の腫瘍内科と違って転院先の泌尿器科では週3日手術があり、医師とは最初からなかなか連絡がつかない。

電話してくれるよう頼んでも、かけてくるのは必ず担当チームの大学院生医師。

Teaching Hospitalなのはわかるけど・・・(最初の病院もそうだったけど)

もしかしたら、電話の周りに他の医師達もいて、こちらの質問によってはもっといろいろ聞けたのか?

でも、口の軽い大学院生(患者にそんなこと言っていいの?と思うこともあった)、こちらは一気に話す気が失せ、別の先生とまた話せるかも、と思ったり・・・

 

転院先の周りは、田んぼが多かったです。

転院した時はまだ田植え前。

稲刈りまでに病気がよくなるよね!と、黄金色の稲穂を思い浮かべた。

最後の治療中に稲刈りが終わり、退院。

もう、良くはならなかった。

つらい思いばかりさせてしまって、ごめんね。

 

少しつぶやきのつもりが、長くなりました🙇‍♀️