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引き寄せの本とかを読んでいると、「意識を向けたことが叶いやすくなる」みたいなことがよく書いてありますが、よくわからなかった「ちぃ」です爆  笑

 

だって苦しいのに、幸せなんてどうやって感じるの?って疑問でしかなかった。こんなに苦しいから幸せになりたいと願っているんだよ。幸せだと感じられる要素がないんだよ。どうやってこの苦しみの中で幸せを感じられるんだ?って、幸せを感じようとすると、幸せを感じる妄想で苦しみから逃げるだけ?思い込むだけで何が変わるの?みたいなことを思っていたんですよね

 

でもさ、よくよく考えると苦しい生活の中にも楽しいこととか、良いこととかもあるわけよ。後は、当たり前のこととかね

 

昔は、不便なのが当たり前で、ちょっとしたことでも幸せだと感じられたり、周りも同じように大変だったから、お互い助け合って苦しい中に小さな幸せを感じながら生きるみたいなことがあったような気がするんだよね。情報社会となり、たくさんの情報が入ってくるからこそ自分の中に欠乏感が大きく出てきているような気がするんだよね

 

昔は自分の社会が小さかったから、友達の親はこんなことしてくれるのに、うちはしてくれなくてやだなくらいだったのに、今は情報を集めればうらやましい生活がたくさん出てきて、今の生活の足りないことばかりが目に付いちゃうんだよね

 

情報がありすぎて、自分がうらやましいと思うことが増えてきた

 

これが不幸の原因でもあるのかな?ってちょっと感じてたんだよね。だってさ、「無い」って思いにフォーカスしやすくなっているんだよね。あることに目を向けるよりも、ないことに目を向けるのが普通の世界になってきているんだよね

 

あれもない、これもないって感じやすい世界になっている。テレビとかネットとかで、これが無いと幸せになれない。これがあったら幸せになれる。こういう生活が普通だよ。違うなら不幸だね。みたいな日常があるんだよね

 

知らないうちに、無いって感じやすい。欠乏感を感じやすい世界になっている。欠乏感を感じることで、生活が周るような仕組みが作られているのでは?なんて感じちゃったよ

 

今の生活でも十分なくらいにあるのに、それを見えないようにして、無いんだってことにフォーカスするように洗脳されてきたから、あるのに、見えないんだよね。住める家があっても、まだまだ上には上がいる。家が手に入ったけど…でも、家が手に入ると今度は、これが欲しいって。欲しいものが手に入っても常に「無い」を感じるような情報が入ってくるんだよね

 

親っていうのは、こういうものだ!みたいな刷り込みをされると、大学の学費を出してもらえなかった、結婚式の費用を出してもらえなかった、子供の時にお弁当を作ってもらえなかった。家を建てる時に援助してもらえなかった。欲しいものを買ってもらえなかった。いつもガミガミ言われていた…。みたいな不満が出てくるんだよね

 

子供ができると、子供って言うのは自分の言うことを聞くって思っているのか、あれしろこれしろ、ついついガミガミ言ってしまうんだよね。子供が何を言いたいのか?何がしたいのか?よりも時間の都合とか、世間の目とかで「良い子」の型に入れようとするんだよね

 

夫とは…妻とは…夫婦とは、恋人とは。自分の中にある固定観念でその人を見てしまうことがある。恋人が欲しいと思って恋人ができても、不安になることがある。最近帰りが遅いけど浮気しているのかな?恋人とは浮気しないものとか、恋人はお金を出してくれるとか、自分の好きなものをリサーチして喜ばせてくれるとか、自分を一番に思ってくれて、大切にしてくれるみたいなのがあると、自分の中のルールから外れると、愛されていないって思っちゃうんだよね。世の中の人はこういう風に愛されていてうらやましいのに、私は違う…って不幸な気持ちになっちゃうんだよね

 

友達と遊んでいて、なんとなく他の友達と自分の扱いが違うんじゃないかなって思えて勝手にいじけたりとかね。なんだかめんどくさいことを招いているのは、自分だったりもするんだよね

 

自分が思い通りの世界を見たくてたまらないんだけど、世界は私中心で回っていないから、自分ルールから外れると、不幸な感じがしちゃうんだよね

 

自分が思ったようにならない、いつも足りないように感じる、孤独を感じる…。自分が不幸な理由って幸せを感じる力が落ちているからなのかな?って思えるようになってきた

 

どんなに不幸な毎日でも、それなりの幸せがあるんだけど、それが自分の中の幸せと一致していなくて見つけられないんだよね

 

親が選択してくれたり、掃除してくれたり、料理を作ってくれるのは当たり前だったりすると、そういうことに感謝できない。洗濯機が動くのは当たり前だと思っていると、壊れた時にイライラすることはあっても、それ以外の時にありがたいと思えないんだよね

 

災害で水がでなくなると、水のありがたさを感じるんだけど、蛇口をひねったら水が出るのが当たり前だと、水が出なくなった時に文句しか言えないんだよね。蛇口をひねったら水が出るってすごいことなんだよ。だって水道管を引いてくれる人がいたわけでしょ?水道管が漏れないようにって管理してくれている人もいる。水が常にいきわたるようにと、管理してくれている人がいる。水道代を払っているんだから当たり前?本当にそうなのかな?その当たり前が感謝力をなくしていくんだよね。当たり前が無くなって、イライラしたり、怒ったりするだけで、目の前のことに感謝することもないんだよね

 

してくれないことばかりに目を向けるから、苦しくなってくる。こんなに、してもらっていることがあるのに、気が付くこともできない。ばかばかしい。こんな当たり前のことに感謝するなんて。って思っていた時は、私は、不幸だったし、苦しかった。感謝することなんてない!って思いながら無理やり感謝していたんだよねびっくり

 

目の前にある物ができる過程を想像していくと、たくさんの人が携わっているんだよね。当たり前のこの世の中をつくるのにはたくさんの人が携わっている。どんな仕事もないと困るんだよね。バカにしているような仕事がなくなると、困る人がたくさんいるんだよね

 

でもなんでだろうね?こんな仕事…とかって思ってしまうことがあるんだよね。上とか下とか、すごい、すごくないとかで見ていた時には見えなかったものが見えてくるんだよね

 

不満を言うことが当たり前だった時には、見えなかった世界が目の前にはあったんだよね。あることが当たり前で感謝するにも値しなかった世界が、本当は幸せの世界であふれていたんだなって気が付いたら、自然と毎日の生活が楽しくなってきた

 

体調を崩すと、毎日元気だった自分の体に感謝ができた。ひどい生活をしているのに、けなげに頑張っている自分の体に感謝できた。嫌なことが起きたり、イライラするようなことが起きると、そうじゃない世界が素敵な世界だったんだって気が付けるようになったんだよね

 

当たり前だった世界っていうのは、幸せの世界なんだって

 

幸せだなって感じる時間が増えれば増えるほど、面白いほど起きていることを幸せな世界に見えやすくするんだよね。嫌なことが起きても、そこから気が付けた幸せなことを見ていったりと…。嫌なことが起きないわけではないんだけど、幸せを見る力がついてきているから幸せが増えていくようになるんだよね

 

幸せに意識を集中させていると、幸せが増えるっていうのは、自分がどういう風に見た物を解釈していくかなんだろうね。私が幸せでいるためには、どうしようかな?って考えていけるようになるんだろうなラブラブ

 

そんなに起きていることは、変わらないんだけど…処理能力が違うと見える世界は180度変わってくるんだろうね照れ

 

今日はどんな素敵なことが起きるのかな?

IMG_20170305_104736736.jpg黄色いポストを見つけた

ハッピーデー

 

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