聞けば、東北大学に進学し、就職先は関東。
「いやぁー立派になって!お父さんも喜ぶよ…」
僕がその若い青年と会ったのは、彼が12歳の時。
リトルリーグで野球少年だった頃。
彼のお父さんは、カウンターに週2回は腰を下ろし、
故郷、串木野の酒をよく飲んでは、愚痴をこぼしてた。
いつ頃だっかな?
身内のように接してくれたのは。
んー。思い出せないなぁ。
でもこれだけは覚えてる。
毎週腰を下ろしてた席から3ヶ月音沙汰なかった頃、
ガラガラと引き戸を開けて、再び腰を下ろしたのは。
串木野の酒をちびりちびりと飲みながら、
「店主、僕、これから故郷で頑張るよ」
翌月、一通の手紙が来た。
高齢の母と共に、これからは農業に専念するよ。
そう書かれた手紙ではあるが、熱き思いは変わってない。
いつも熱いオヤジでしたから。大きくなった息子もそう言っていた。
おじさんは、一生懸命頑張ってたようで、
その頑張りが実った食材の野菜を、分けて貰い続け3年…。
3.11の震災直後…
「困った事はないか?」
「お米とか送ろうか?」
「何か困ったらできる範囲内でするから…」
「あっ!言い忘れたけど、息子が東北大学に入学したよ」
そんな、いつもながらたわいもない会話を、電話越しで交わした、翌週……。
オヤジは、心臓は動いてても、口も身体も動かせないひとになっちまった。
それから2年…ようやく楽になったね。
自宅の自室で涙があふれた献杯。
僕にとって、鹿児島の身内のひとり。
そんなオヤジの遺伝子を継いだ若き青年。
あのオヤジの面影残る青年に、僕は
あのオヤジと同じ事を言っていた。
「困った時はいつでも暖簾を潜れよ。」