2024年7月3・4・5日 韓国の信仰の友より

2024年7月3日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「この時わたしの理性は自分に帰った」(ダニ4:36)。ネブカデネザル王は王宮の屋上でバビロンの世界を見渡し、自分の帝国の偉大さを喜び自慢していました。何のことも起こらない、変わらない自分の力を見て、神の預言の御言葉などは空しい夢に過ぎないと思ったのです。人生が愚かになるとは、今のすべてが自分の力によってできたと思う時です。その時、人間は野獣に変わります。神無しに生きること自体が高慢であり、愚かそのものです。しかし残念ながら、打ったれて初めて悟る場合の多い人間です。この王は結局、神の御前に自分を立たせ、主なる神に讃美を捧げ、主がなさるわざを褒め歌います。そのように主なる神を覚える時「理性」(マンーダ)は戻りました。主なる神を讃美し、主がなさることを覚え聞き従う人こそ、聖書は「理性的な人」だと言います。あなたは「理性的な人」ですか?

2024年7月4日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「ベルシャツァル王よ、あなたはこれらのことをよくご存じでありながら、なお、へりくだろうとはしなかった」(ダニ5:22)。人は知らずに過ちを犯すのか、あるいは知りながら犯すのか。どうでしょうか。聖書の最初の罪は知りながら犯したものです。ネブカデネザル以降、短命の王が次々と入れ替わる中、ベルシャツァルも同様に「知りながらへりくだらなかった」ということで、主は失望されました。主なる神様が何を望んでおられるのかを知りながらも、そうしなかったのです。「過ちを犯しても直せないのが真の過ち」だと言われます。聖書は、人間というものは知りながらも習慣的に神の前で罪と過ちを犯す存在であることを告発します。「へりくだる」(シェフェル)はダニエル書のみに登場する動詞で7章24節では「倒す」と訳されています。知りながら繰り返し過ちを犯す人生は結局倒されてしまいます。倒されてしまわないようにしましょう。

2024年7月5日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「ダニエルには優れた霊が宿っていた」(ダニ6:4)。「すぐれた霊」とも訳されるヤッティルは ダニエル書のみに現れる言葉です。ダニエルは、日常の生活の中で、「訴える口実を見つけることができない」(5)ほどに「聖なる神の霊」(5:11)に導かれて生きる人でした。6章は、内容と構造の面で3章と似ています。3章の「たとえそうでなくとも」という信仰がここによく現れているのです。現代社会は訴えの多い時代です。逆に言えば、私たちは訴えられるほど弱い存在であるということかもしれません。実に訴えられる口実が一つもないイエス・キリストは訴えられたわたしたちの罪のゆえに、十字架につけられました。そのイエスの十字架に生かされることに際立って優れたキリスト者として生きることを祈り求めましょう。

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オリュン教会日本語礼2024/06/30「主の約束した地」能瀬 熙至 神学生
https://m.podbbang.com/channels/1790267/episodes/24957652


【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be

 


【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
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