2024年6月25・26・27日 韓国の信仰の友より

2024年6月25日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「ケルビムとなつめやしの模様が刻まれていた」(エゼ41:18)。新しい神殿に関する預言は続きます。聖書でなつめやしは重要な意味をもつ植物です。「神に従う人はなつめやしのように茂る」(詩92:13)。以前、仮庵に住んでいたことを想起しながら仮庵祭を守るとは、イスラエル民には意味深いもので、結局主の義が勝利するという意味が込められています。イエスがエルサレムに入城されるとき、群衆はなつめやしの枝を持って迎えに出ました。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る」(ゼカ9:9)。今日、私にとってなつめやしとは何か黙想します。旧約では特別な言及なしに蜜(例:乳と蜜の流れる)を言うときはなつめやしを意味します。その実が密よりも甘いからであります。蜜よりも、蜜の巣のしたたりよりも甘い主のみ言葉をもって、主を迎えに出て行きましょう。それで義の勝利が伴われる茂りの恵みに与りましょう。11

2024年6月26日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「人の子よ、あなたはイスラエルの家にこの神殿を示しなさい。それは彼らが自分の罪を恥じ、神殿のあるべき姿を測るためである」(エゼ43:10)。40章から43章まで主はご自分の民のために新しい神殿の建築に関する細かい測量値を指示されます。読み飽きるほど測り数値をなぜ記したのでしょうか?これらの数値に象徴的な意味があると思う人もいるかも知れませんが、むしろこんな飽きるほどの細かい数値通りにあなたは従えるのかと問われている気がします。新神殿に関する預言はエゼキエルがバビロンに移住させられて約20年も経って、そこの生活に慣れが生じるところでした(参考エズラ9章)。主の信仰の共同体が異邦の文化と宗教に完全に瓦解され枯れた骨のようになっていたところに、主は細かい神殿の数値を指示されたのです。もっとも小さなことまでも従順である時、傷つけられた「主の栄光が東から現れて」(2)新しい神殿が立てられていくというメッセージではないかと黙想します。それを見ると自分の罪が暴かれ恥じ、それでその神殿を測って見たい思いを生じさせるのが新神殿です。イエス・キリストとそのお方の十字架を見るとどう思われますか。その奥に釘のように打たれているあなたの罪が見えてきますか?その罪に対する細かい測り数値に正確に従順であった主の測り知れない従順の愛が見えてきますか?

2024年6月27日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「あなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない」(申7:7)。恋い慕うとは心引かれる、喜ぶ、愛するという意味の動詞で、後ろの選ぶという動詞に繋がります。では、主の御心を喜ばせたのは、何だったのかと考えます。本文は「数が多かったからではない」(マート)という理由だと証言しています。マートとは十分で満足できるほど少ないという意味の言葉です。だから、主は「強い御手をもって」(8)その民を救われるのです。「数が多かったからではない」とは、徹底的に主によりすがる「数」であったという意味です。主に対する徹底的によりすがることもないのに、「主の救いの恵みは数の多少ではない」と説教するのは、私たちだけでいい!という自己満足に過ぎないのです。あなたの教会はどうでしょうか。