2024年6月7日 韓国の信仰の友より

何時も有難う御座います。

 

「ツロの君主に言え。あなたが心高ぶり、私は神だ。神の座についていると言った。あなたが自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない」(エゼキエル28:2)。ユヴァル・ハラリは「ホモ・デウス」において「神になろうとする人間」の姿を描き出しています。事実、神になりたい人間の欲望はすでにアダムとエバから見られます。ツロもそうでした。「自分の知恵と英知によって財宝を積み、金や銀を宝物倉に蓄える」(4,5)と神のようになった気分だったでしょう。「みなした」(ナータン)をセットする(set)、作る(make)と訳する聖書もあります(KJV, NASB)。つまり自分の思いを神の思いに仕上げるのです。自分を神格化しようとする欲望は誰にもあるでしょう。天皇を神に仕上げ人々を惑わした人間の愚かさもそれです。そのような神格化の罪性の色に染められている人間を救おうと主イエス・キリストは人となりました。まことの神であられるイエス・キリストは自分を空うして人になられたのです(ピリ2:7)。神になろうとする高慢な者らよ、イエスにひざをかがめなさい!