なんだか光のフィールドに囲まれているフリージア。
こちらシャスターデイジーかと思ったらフランスギクのようです。
今年も一面お花畑。

まじ‐ない〔‐なひ〕【▽呪い】

神仏その他不可思議なものの威力を借りて、災いや病気などを起こしたり、また除いたりする術。「呪いをかける」「人前でもあがらないお呪い」

のろい〔のろひ〕【呪い/×詛い】

のろうこと。呪詛(じゅそ)。「—をかける」「—をとく」


出典 Weblio辞書


ご存じでしたか?

「呪」と言う文字は「まじない」とも読むのです。

一つの漢字で読みに対義の意味があるのは珍しいのではないでしょうか?

エネルギーの特性をよく表した言葉だと思います。



先日の観察に特化した講座でシェアされたとても興味深い言葉です。

記憶をたどります。

ある方が「愛か呪か」と言う言葉がリフレインすること、のろいはまじないとも読むことをシェアしました。

もう一人が安倍晴明だったかな陰陽師だったかな?は叶わない願いは呪(しゅ)になると言っていたとシェアしてくれました。


そこで先月私が気付いたことを思い出しました。

「光」に繋がる、「闇」に繋がる、とエネルギーの状態を指すことがあるけれどその「光と闇」は決して特別なもののことを指すわけではないこと。

「光と闇」は日常の中で常にある自分の意識の状態がどこを向いているのかであることに気づいたのです。

私は家族にずっと「闇」に繋がるエネルギーを注いでいて、あるワークをきっかけにその矛先が「光」に変わったことに気がつきました。


例えば「子ども」を例に取ります。

この子はいつも勉強しないで遊んでばかりと不安や不信に思っていたとします。

いつもです、いつも

今遊んでいるは関係ありません。

そして度々遊んでいる子どもを見ては「また勉強しないで遊んでる。」と思う。

「あんたはいつもそうなんだから!」と怒る、愚痴る。

その「想い」は子どもが今日は勉強したい、普段と違う行動したい、自分の望む方向に行動を変えたいと思った時に変化の妨げとなります。

子どもに注がれている不安や不信の思いはエネルギーとして存在していますのでその想いが強いと子ども自身の変化や成長への希望を妨げるのです。

言葉にもエネルギーが載ります。

相手の意識にも刷り込まれていきます。

子どもだけではありません。対象が誰でも同じです。もちろ自分も含まれます。

それが「呪(しゅ)」になります。

「縛り」ですね。


「闇」に繋がると言うことは決して黒魔術や呪いの呪詛、陰謀のことだけを指すのではなく日常の意識の矛先なのだと私は感じました。


叶わない願いが「呪(しゅ)」になるとは

大きな望みだけを抱いて行動しないままだと「呪(しゅ)」になって自己卑下が強くなり身動きが取れなくなっていくと言うことではないかと思います。

望みは大きくても一歩一歩小さなことでいいので、できる事を積み重ねていればそれは光に繋がっていく。

大きな望みを抱いたときは同時にそれを達成するための小さな望みも同時に抱いて行動する。

「大金持ちになるために毎日鏡を見てにっこり笑う」

一見全く関連がないことだけど自分で関連づけて行動に繋げればなんでもいいのだと思います。

望みに繋げて行動するのが大切なだけなのです。


自分の意識の矛先を変えた瞬間に現れている現象が変わることがあります。

それは自分の意識がどこに繋がっているのか、どこにたくさん注がれているのかなのでしょう。


想いや言葉はエネルギーなのだと言うことを改めて強く感じた気づきでした。



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