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2022.09.08 追記
当時、闘病記はnoteに書いていて、
よく出てくる友達の傷様が誤字チェックをしてくれてました。
その話もいずれ出てきますが、
書籍化を目指すなら、先に誤字はなくしとこう、と、
傷様がやってくれてたんですよ。
そしたら、これは、誤字じゃないけれど、直したいと連絡をくれたところがあって。
今はこう直してありますが↓
「こふじのお母さんは、乳がんで亡くなってるから、なおさら冷静なんだろう。」
当時↓
「こふじのお母さんも、乳がんで亡くなってるから、なおさら冷静なんだろう。」
って書いてあったんです。
傷様が、ここは直そう、いいよね?と。
その時、ハッとしたんですよね。
確かにそうだねって。この時のこと、めちゃくちゃ印象に残ってます。
では、本編をどうぞ。
発覚8 がん告知、待合室で呆然
待合室に行くと、付き添いできてくれたこふじは、
待合室のソファーでうつらうつらしていました。
その姿を見ながら考えてました。
メンバーとは10年20年の付き合い。
家族同然の実家ぐるみでのお付き合い。
これからどうしたらいい?私死ぬの?
治療するならお金は?
数年前の脳の病気で保険にも入れてない。
数年前の脳の病気でもう親には頼れないよ。
借金?バンドマンに貸してくれるところなんてないよ。
貯金?そんなもん大してないよ。
仮に誰かに貸してもらっても、
治療後に返せるくらい働けるの?
バンドはどうなる?
こいつらはどうなるの?
私が死んだらどうするの?
私がリーダーで20年近くやってきたのに。
で、今寝てるこのこふじを起こすの?
気持ちよさそうに寝てるのに。
わざわざ起こしてなんて言うの?
ガンでしたって?
起きて最初に言われたのがガンだった報告、
どんな気持ち?
私のバンドのYouTube👇
ぐるぐる考えながら待合室で立ち尽くしてる私に、
受付の方が声をかけてくれ、
はっとして、ちょっと落ち着いてから、こふじの隣に座って、
ごめんね、やっぱり、ガンだったわ。
と言いました。
こふじは、いたって冷静で、
うん、わかった。
まずメンバーと、ユータさんのお母さんに連絡しよう、と。
終始冷静だったこふじ。
いつもは小3くらいのテンション感で、
ジョジョとドラゴンボールのこと、
多めで生きてるけどこういう時は冷静。
※こふじです。
こふじのお母さんは、乳がんで亡くなってるから、
なおさら冷静なんだろう。
淡々と私の母とメンバーに電話をしていました。
私はぼーっとしてました。
その場では、
ステージいくつとかは、まだわからない。
と言われて、
また詳しい結果は後日、と。
ガンは初期なら治ります!
なんてみんな言うけど、じゃあ初期じゃなかったらどうなるんだよ、
思う時もありました。
闘病の期間で、
この時期が1番2番に辛かったです。
大きな病院に行く前で、
ガンなのは分かったのに詳細はまだ…って時期。
不安を紛らわせるため、
とにかくお菓子を食べまくってました。
プリングルス一本食ってやりました。
解決法がシンプル。
で、ニキビできまくってました。
当然の報い。
※2024撮影のこふじと私
ーつづき
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