カリフォルニアにて留学・恋愛・同棲生活
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脱出理由2

中学3年間私はバドミントン部の副部長を務めた。

部活で毎日忙しかった事もあって、日本イヤイヤ病は治まっていたが、それでも、筆箱、定規、シャープペンシル、通学鞄につけるキーホルダーはソニープラザで買った欧米製にこだわっていた。

そうやって海外製のものを身に着けることによって、他の人たちと私は違うんだ。ということをアピールして、他の子にも、そうゆうふうにわかって欲しかった。今は、"なんてバカだったんだろう"と思うけれど、日本に同化したくなかったのだ。



英語の授業がどんな授業よりも好きだった。

毎回の授業である、教科書の音読は1人ずつ名前順であたるので、他の子より発音のよかった私は(当たり前のことなのですが…)まだかまだかとウキウキしながら待っていたものだった。

私の番が来て、音読を始めるとクラスの生徒が”おおお~。さすが~。”といわれることに優越感を感じていた。



高校に進学するとき、私の頭の中には”オーストラリアの高校に行く”事しかなく、中3の8月までろくに志望校も探さず、周りが受験モードなのに1人余裕ぶっこいていた。

しかしママの教育方針により、留学はなくなった。

私が留学志望ということをかなり前から知っていたうちの両親(特にママ)だが、一度も否定的な意見を聞いたことがなかったので、とても裏切られた気分になった叫び



それ以来、私の日本イヤイヤ病は悪化するのであった。



推薦で何とか入れた私立高校でも、お弁箱から筆記用具、化粧品、学校で食べるお菓子、などはすべてソニープラザで調達していたが、日本イヤイヤ病の悪化に伴い、MP3に入っている音楽もすべて英語かスペイン語、電車の中で読む本も英語の小説、見るTVはMTVだけ。極めつけは、脳内英語環境を作り上げることだった。これは、頭の中で1人で英語の文を作ることだ。例えば、電車に乗ってて、”うぇ。あのオヤジキモッ!”とおもったら、それを英語で文にして言いなおす(もちろん口には出さずに心に秘めておく)。



そんな女子高生だったので友達も数えるほどしかできず、浮いていたように思う。

特に英語の授業では1人優越感に浸っていたのでさらに浮いていたであろう。


私の高校3年間はひたすら進んでいく自分の欧米化に、ついて行く事のできなくなった私の小学生レベルの英語とのジレンマの思い出しかない…。



これだけ変わっていた私だったので、両親も、"ちゃんと目標があって(獣医ということ)大学留学に行くのなら、いいよ”といってくれたので満を持してアメリカに出発するのであった。