おはようございます。
べっちです。
今日はちょっとシリアスにいきます。
宜しくお願いします。
正月に実家の福島で中学時代の同窓会が開催されることになった。
学年全体の同窓会。
既に50人以上参加者がいるとのこと。
更に連絡を取り合っているのはmixiとFacebookという。
いい時代になりましたね。
と同時に先生も来るかもしれないそうです。
先生か。
僕は正直、中学時代があまり好きじゃないんです。
あ。
勘違いして欲しくないので先に書きますが・・・。
友達は皆大好きです。
今回の同窓会もめっちゃ行きたいですし皆にも会いたいです。
でも、あの時代の中学校生活が好きじゃない。。。
いや。
先生が嫌いなんです。
うん。
中にはいたけどね。
いい先生も。
数人だけど。
戻れるとしたら何歳に戻りたい?
なんて質問があるけど、僕は中学以前には絶対に戻りたくない。
あの閉鎖的な、いや威圧的というか。。。
圧迫感というか。
素行がよくないと内申書にひびく。
部活も三年間辞めずに続けないと内申書にひびく。
内申書が悪いと高校に行けない。
中卒になんかなった日には、ろくな職につけない。
一生貧乏で一生辛い行き方をするハメになる。
高校受験に成功しないと一生苦しむ。
誰かに言われたのか、言われてないのか・・・・覚えてないけど。
なんか、そんな風に思いながら、やりたくもないバスケ部に入って。。。
と書いてるだけで暗くなってくるような思い出が多い。
とにかく抑えつけられた三年間としか思い出せない。
僕の中学時代は年代にして
1989~1991年。
今から丁度20年前が中学3年生。
バブル絶頂期~崩壊近く。
当時はなんとも思っていませんでしたが激動の時を過ごしたことになります。
なので、教育という部分もなにかそういう感じだったのかな。
わからないけど。
校則も厳しかった。
男子は坊主頭。
女子はおかっぱ頭。
さっきも書いたとおり内申書に怯えながら、軍隊か?というような部活動をし、運動着には番号を振られ、女子はブルマをはかされていた。←これは別にいい?ぇw
学校の名前は、福島第三中学校。
通称【三中】が僕の母校。
僕らの学年は8クラス。
学区は、
岡山小学校の全部
月輪小学校の全部
大波小学校の全部
鎌田小学校の一部
福島第三小学校の一部
↑俺はここから来た。
三小→三中は、上記に書いてあるとおり学区の関係上一部。
考えてみれば凄い話だ。
13歳になったばかりの子供が、見ず知らずの集団の中に放り込まれるわけです。
そりゃ、うまく人と話せない子だっているだろうし、緊張のあまり気持ち悪くなってゲロ吐いちゃうような子もいる。
あの環境を思い出すと自然なことだと思う。
なのに、ただ緊張してただけなのに変な目でみられたりして・・・。
これって凄い話だなと。
だから今思い起こすと、僕は不良の先輩に殴られたぐらいで、それ以外は普通になにも無くやってこれた事は凄いと思ってしまうんです。
思春期だし、凄くデリケートな時期のような気がするから余計に。
もうあんな状況での集団生活絶対したくない。
1年5組に配属された僕は、4月2日生まれという生年月日から出席番号は一番だった。
教室右側の一番前の席だったのを今でも覚えている。
その時、後ろの席に座った男が伊藤健一(通称イトケン)
大波小学校から来た生徒だった。
何気なく、後ろを振り向くとイトケンの下敷きに書いてあった文字が
「THE BLUE HEARTS」
お。
ブルーハーツ聴くの?
これが、他校から来た生徒との初めての会話だった。
当時僕は、ブルーハーツの存在は知っていたが音源を持っていなかった。
持っていたものと言えば、ラジオで流れていた「人にやさしく」をテープに録ったものだけだった。
べっち:ブルーハーツのCD持ってるの?
イトケン:うん。あるよ。
べっち:すげーね。俺テープしかない。
イトケン:貸そうか?
べっち:マジで!?
と、イトケンとはスグに仲良くなれた。
その後も、順調に友達も増え極々普通の中学生活を送っていたわけだが、どうにもこうにも納得いかなかったのが校則と内申書。
中学2年生の時、エレキギターを手にした僕は、内申書の為だけにやっていたバスケを辞める決意をする。
職員室に行き、顔を見るだけで震えてしまうような怖いバスケの先生に向かって僕はこう言った。
べっち:他に打ち込みたいものができたのでバスケ部を辞めさせてもらいたいです。
先生:なにするんだ?
べっち:ギターです。
すると先生は「ふっ」と鼻で笑い、僕にこう言った。
先生:バスケを3年も続けられないヤツに何ができる。もう来んな。
普通ならここで、20年後の再会で
「先生に頂いたあの言葉が悔しくて頑張った結果今もギターで!!」
と、なるはずだが・・・全く愛を感じなかった上に、アホみたいに殴られウンコみたいな練習を散々やらされたので、今会っても感謝の気持ちが全く出ない。
せっかく良い事を言ってもコレでは全く意味が無い。
更に、女教師にいたっては、バンドの練習に向かっている僕を見つけ授業中に
女教師:渡◯君。あなた昨日何してたの?
べっち:はい?
女教師:ちょっと立ちなさい。
べっち:はい。
女教師:昨日何してたの?と聞いているの。
べっち:いやー。別に何もしてませんが・・・。
女教師:ウソおっしゃい。あなた文知摺橋をギター背負って自転車で走っていたでしょ?
べっち:あー。はい。バンドの練習でしたので。
女教師:まぁー聞いてあきれるわ。エレキバンド?この大事な時期に何を考えてるのかしら。高校受験よ?
べっち:あー。はい。でもバンドの練習も大事ですので。
女教師:何になるの?バンドなんてして。
べっち:いや・・・その・・・将来はプロに・・・!
女教師:寝ぼけたこと言ってないの!!受験の方が大事でしょ!!!
べっち:うぐぅ・・・。へい。
女教師:それに何かしら。あの服装は?
べっち:え?なんですか?
女教師:ファッションとでも思っているのかしら?ジーンズ破いたりして。
べっち:はい。すみません。
ここで余計なこというと内申書にひびきますから。
ひたすら我慢です。
てか、学校サボってとかじゃないんですよ。
練習は日曜日です。
なんで皆の前で立たされて、こんなこと言われなきゃなんだろう。と。
家に帰ってブルーハーツを聴いてどうしたらいいか考えたもんです。
誰かのサイズに合わせて 自分を変えることはない
自分を殺すことはない ありのままでいいじゃないか~
とかねw
そんな三年間だったわけです。
なんやかんやと、身の丈にあった高校を受験して、なんとか高校には受かった訳ですが。
高校3年生の時に僕は病気をしてしまいした。
卒業後も病気は治らず、就職先を半年で辞め病院に通うようになりました。
次は、20歳の時バイクで大型ダンプカーと正面衝突の事故を起こし一年間病院に通いました。
仮に大学にでも行ってれば事故は無かったかもしれないけど、こんな人生では一流企業に就職できてもクビになっていたでしょう。(その前に高卒じゃ無理だなw)
何が正しくて、何が正しくないのか。
いや。
ちがう。
何が大事で、何が大切なのか。
今となって、一つ言えるとしたら、僕はあの時、先生達に何を言われようともギターを弾いた。
結果、高校でスグにバンドを組めて、更に沢山の先輩達と知りあえて、その後の東京での活動に大きく繋がった。
Space Combineでローディーができたことなんて正にそうだ。
確かに僕は一流企業に就職できなかった。
辛い仕事も沢山した。
今まで沢山貧乏もした。
むしろ今も貧乏だ。
そして今だに独身でアパート暮らしだ。
はははは。
でも、ギターを弾いてお金を貰えるようになった。
女教師:何になるの?バンドなんてして。
べっち:いや・・・その・・・将来はプロに・・・!
女教師:寝ぼけたこと言ってないの!!受験の方が大事でしょ!!!
受験の方が大事だったのだろうか。
って書きながら結果論でしかないのですが。
一流企業に就職して、結婚して、子供作って、住宅ローンを組んで、マイカーローン組んで、ボーナスもらって、カレンダー通りに休みもらって、毎日同じ時間の同じ電車に乗って、
満員電車のなか くたびれた顔をして 夕刊フジを読みながら 老いぼれていくのはゴメンだ
20年経ってもブルーハーツが言ってることに頷ける。
これは中学生の時から考え方が変わっていない痛い大人だということか?
いや。違う。
やっぱり、
何を大事にし、何を大切にしながら生きていくか。
バイトだろうがサラリーマンだろうが、ここが無いと何をやってもダメだ。
当時の先生達が20年後に、こんな時代が来るとは思っていなかっただろう。
先生たちは僕を不安にするけど
それほど大切な言葉はなかった
嫌味なぐらい当たってる。
そんな先生達に20年という時間を経て再会することになりそうだ。
いろんな意味で楽しみだ。
けど
やっぱり、僕は当時の先生が苦手だ。
※追記
このベログを書いた後、いろんなところでいろんな人からコメント頂きまた振り返ってみた。
結果。
やっぱり自分は何をやってもまだまだ三流だなと思いました。
書いて確認することって大事ですね。