今回の九州一人旅、一発目の観光は佐賀県唐津市の名護屋城址に来ました!



文禄・慶長の役において天下人豊臣秀吉による唐入りの歳に国内拠点として半年足らずで築城された城です。


全国の武将が集結して短期間で20万人の大都市になったのが名護屋です。


歴史は勝者によって作られるで文禄・慶長の役は年老いた秀吉による蛮行と時代劇では語られる事が多いが本当にそうなのでしょうか?


九州で行われた奴隷売買など秀吉はアングロサクソンによるアジア植民地支配から日本を守ろうとしたという説が近年になり知られるようになりましたね。


そして、名護屋城は築城の名人と言われた加藤清正公の家臣である城取り木村藤九郎が築城に携わった城でもありますので以前から一度、見てみたかったのです!


この名護屋城から多くの先人が海を渡り朝鮮では多くの命が失われました。


それだけの損害を被ってでも秀吉や大名達は何を守りたかったのか?


名護屋城の天守閣跡から朝鮮半島の方向を見る豊臣秀吉公の思いを感じながら名護屋城址の見学をさせていただきました。