足利氏8代 | きるろいの快刀乱麻を断つ

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主に近世日本と落語ネタを綴っていくことを目標にして開設。最近は食いもん系が多いです。2024年はちょっと慎重に動きます(`_´)ゞ

足利氏は15代続いたんでは?

と思った方、室町幕府の歴代将軍にお詳しいおねがい


でも、違うのです。尊氏以後の話ではなく、足利氏の誕生から尊氏に至るまでのお話です。前々回下矢印

話に関連するのですが、私も含めて鎌倉時代のことは黎明期の義経あたりがハイライトで、以後のことはあまり関心がない人がほとんどなのではないでしょうか。


そして早くから頼朝旗上げに参加し、鎌倉幕府成立に貢献した足利氏のことはほとんど話題にならないと思います。私は有力御家人と書きましたが、大河ドラマ『鎌倉殿〜』には足利氏は登場していないと記憶します。


それは『吾妻鏡』にあまり登場しないからかも知れません。有名どこは頼朝の姻戚の比企北条ですね。主な武将は安達和田三浦畠山梶原などでしょう。


上総広常、義仲、義経が頼朝により粛正され、後には北条氏との権力争いで和田義盛、梶原景時、比企能員、畠山重忠といった幕府樹立に大いに貢献した武将たちが謀反の罪を着せられ没落していきます。大河ドラマ『鎌倉殿〜』では義時の盟友とされた三浦氏でさえ孫の代に失脚します。


さてそんな中、足利氏は代々北条氏と縁組をし続け、しぶとく生き残ります。前々回書いたように北条時頼と足利義氏は「また従兄弟」の関係にありました。


足利氏の祖は有名な源八幡太郎義家の孫の義康から始まります。その義康を初代として高氏(尊氏)に至るまでを便宜上8代と私が勝手に数えました 笑


鎌倉時代の足利氏は決して目立たないですが、北条氏との太いパイプのため意に反することも家門のために我慢し、幕府(というより北条得宗家)に忠誠を誓い続けます。


そんな辺りは、幸い私は1991年の大河ドラマ『太平記』で知っていたので分かります。ある意味ワザと目立たないように、やり過ぎないようにして生き永らえたのです。尊氏役が真田広之さん、その父貞氏役が緒形拳さんでした。

貞氏は前回登場(笑)の頼氏の孫です。その緒形拳さん扮する貞氏の回想シーンで彼の父家時が自害の場面がありました。


それには、こんな伝説があるからです。

足利氏の祖、源八幡太郎義家が『自分は七代の子孫に生まれ変わって天下を取る』と置文したといい、その7代目が頼氏の子、家時だったのです。

ところが、家時は自分の代では悲願達成出来ないと諦めて、自分の命を引き換えに八幡大菩薩に3代あと迄に成就するよう祈願したといわれます。そして自害してしまうのです。


その3代あとに悲願は実現する事となりました。そうです。家時の3代後が奇しくも高氏(後の尊氏)でした。


臥薪嘗胆🥹

そんな言葉が思い浮かびます。


ただ、もちろんこれは足利幕府がその正統性を主張する為の後年の創作ともいわれています。たしかに鎌倉幕府を開いた頼朝も義家のれっきとした子孫ですよね。鎌倉幕府開府によって少なくとも武家社会では既に天下を取ったとも言えますからね。


【参 考】足利氏系図