伏見家文書 年中行事 その33【十二月】(6) | きるろいの快刀乱麻を断つ

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主に近世日本と落語ネタを綴っていくことを目標にして開設。最近は食いもん系が多いです。2024年はちょっと慎重に動きます(`_´)ゞ

一年にわたり紹介して来た、伏見家文書 年中行事も最終回です。
くい徒ミこしらへ能覚
◎廿八日ゟ都合次第拵申候事
 但大三十日本式也

一 のり入紙弐枚しきうら白三角
  ゆづり葉向ニ松枝其上米八合程
  置前ニこん婦七五三五五三とならベ
  其外ハだんだん見はからい見ばよく
  ならべ上ニ本多王らを置大々をのせ
  向て右之方ゟ手前へ向ケ海老を
  おく其すきますきまあられを少々
  かけおく のしハかしらを左ニして
  大々半分かけおく

【読み下し文(兼現代語訳)】
食い積み拵えの覚え
二十八日より都合次第、拵え申し候事
 但し大晦日 本式なり

一 のり入紙二枚敷き裏白三角
  ゆづり葉向いに松枝その上米八合程
  置き前に昆布七五三五五三と並べ
  その他ハ段々見はからい見映良く
  並べ上ニ本俵を置き橙を載せ
  向って右の方より手前へ向け海老を
  置く その隙間隙間へあられを少々
  掛け置く 熨斗は頭を左にして
  橙へ半分掛け置く

【語 句】
・食い積み
お正月🎍のお供えの準備です。
現在私たちが食べているお節料理お弁当

お節は季節の分かれ目で、節句は元々は節供と書き、お供えもののことでした。つまり自分たちが食べるものではありませんでした。


そのお供えものを「食い積み」と言ったのです。

三方、折敷などに載せ飾りつけました。正月のお飾りについては過去ログ、本年正月編を振り返っていただけたらと思います。


ウェブで江戸時代の食い積みが描かれている絵下矢印を見つけました。

これは江戸時代後期のお正月風景。盃を持っているのは当時の人気役者です。画像左に見えるのが「食積」です。伊勢海老🦞が見えますね^ ^


本文に(師走)二十八日から拵え・・云々とありますね。これは現代の正月準備でもそうでしょうから分かります。しかし、「但し大晦日が本式」とありますね。これは意外でした。


正月の飾りを二十九日に用意するのは縁起が悪いとか、大晦日に飾るのは「一夜飾り」と言って良くないと言われていますよね。


もしかしたらですが、年内はあくまで今年であって、元来は来年の御祝いは直前若しくは元旦にするのものだったのではないでしょうか!?


それが前日だとバタバタとして、し損ないや遅れが出て支障があったりした経験からいつしか庶民は数日前から準備するようになったんではうーん つまり九の日は縁起が悪いだとか、前日では神様に失礼だとかはこじつけだったんではひらめき電球


なんてまったくの想像ですが、ちょっと本気でそう思ってますニヤリ


下記のサイト下矢印を参考にさせていただきました。大変勉強になりましたウインク

https://edo-g.com/blog/2016/12/new_year.html/2


・橙
「大々」って当時はふつうに書いたんでしょうか。一応、文脈から間違いないと思いますが、意味がわかるまで時間がかかりました。これは二十年も前に伏見さん達と勉強会で読み合わせをした時にも結論が出ていなかった箇所と記憶しています。自分を褒めてあげたい(笑)グッ

今回で年中行事の全頁を読み終えました。もしかしたら、語句などで後になって判明したものなど補足説明をアップ⤴️するかも知れません。しないかも知れません。すべて「都合次第」てへぺろ爆弾