時期はオリンピックの閉幕とともに、終戦でもあったのですね。
昨日のテレビ番組、フィリピンの戦線での軍法会議のことでしたがそれを見てショックを受けました。
私は何も知らなかった。無知すぎました。それが正直な感想です。
敵前逃亡という罪をかぶせられた兵隊の殆どが食糧が配給されず空腹に耐えかね、食料を探しに行くことが殆どだったと知らされ、「食料も満足に与えられない軍部が原因じゃないか。」などと一人憤っていました。
充分な会議にかけられず、有無を言わせず銃殺。そう報告は締めくくられています。日本に残る家族を探すと、一族は処刑の報告を受けるとまもなくその地をあとにいずこかに転居しているとの事。
遺族年金も敵前逃亡という処分のものには出ないのが基本。日本のためと戦地に駆り立てられ、報われず汚名だけが日本に戻ってくる、
オリンピック選手に置き換えると、まさに日本を代表して、激戦地に、行ってくれただけでありがたい。そう考えると、すべての選手に、ご苦労様といって温かく迎えてやりたくなる。
激戦地の苦労、それは戦いの現場。それを味わって現場を知ることが始めて声を上げることが許されるのかもしれない。
ぬくぬくと家の中で暮らし、不平だけを言う、生活は常に目を光らせ締め出さなければいけないと、昨日のテレビ番組は教えてくれた気がします。