皆様こんにちは、お元気様です
(お疲れ様の逆語です。)
私は、小さい会社ながらも、
スタッフやそのご家族そして、
たくさんのお客様の人生を
私が、校長先生とはいえませんが、
できる事なら、こんな校長先生に
なれれれば良いな、と思っています。
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「無財の七施」
仏法に、財産が無くても誰でも、
七つの施し(与える事)ができる、
喜びの種をまくことができる
という教えがあるそうです。
財産が無くて、どうして施しができるのか
何を施せるのか
それは、七つの方法を示しているとの事です。
一は「眼施」──やさしいまなざし。
二は「和顔悦色施」──慈愛に溢れた笑顔で人に接する。
三は「言辞施」──あたたかい言葉。
四は「身施」──自分の身体を使って人のために奉仕する。
五は「心施」──思いやりの心を持つ。
六は「床坐施」──自分の席を譲る。
七は「房舎施」──宿を貸す。
大きなことでなくともいいので
日頃ささいな行いによって、
人が喜ぶ種をまき、
花を咲かせることができますよ。
とお釈迦様が言ったそうです。
『この話とつながる話が、校長先生の話です。』
ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。
種目にクラス対抗リレーがあり、
各クラスから選ばれた代表が出場した
その中に小児マヒで足が不自由な
A子さんの姿があった。
からかい半分で選ばれたのである。
だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、
水泳大会に出場し、一生懸命に、自分のコースを泳いだ。
その泳ぎ方がぎこちないと、プールサイドの
生徒たちは笑い、ののしった。
その時、背広姿のままプールに
飛び込んだ人がいた。
校長先生である。
校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、
「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。
その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。
~こういう話もあります。~
そのおばあさんは寝たきりで、
すべて人の手を借りる暮らしだった。
そんな自分が不甲斐ないのか、
世話を受けながらいつも不機嫌だった。
ある時一人のお坊さんから「無財の七施」の話を聞いたが、
「でも、私はこんな体で人に与えられるものなんかない」
と言った。お坊さんは言った。
「あなたにも与えられるものがある。
人にしてもらったら、手を合わせて、
ありがとうと言えばよい。
言われた人はきっと喜ぶ。
感謝のひと言で喜びの種をまくことができる」。
おばあさんは涙を流して喜んだという。
「喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びに来る。
悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみに来る」
喜びの種をまく人生を送りたいものであります。
~最後に、この詩をご紹介します。~
《雨の日には 雨の日の
悲しみの日には悲しみをとおさないと見えてこない
喜びにであわせてもらおう
そして
喜びの種をまこう
喜びの花を咲かせよう
ご縁のあるところ いっぱいに……》
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さて、今日も幸せ作りに頑張ろう