復興を願っています | ベホスッピンのホスピタリティよもやま話

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ホスピタリティってなに?
よく聞く言葉だけど、いまさら本気で聞けない言葉・・・
でも、できるだけわかりやすくお話します。

間には、肩の凝らない話題も入れて・・・

 私の故郷は三陸の漁港です。生家は私が生まれてから3回建て直ししていて、現在の家は4軒目です。そのうち都合で建てたのは1回だけで、2回は津波による破壊でした。故郷は津波のメッカなのです。

 

 話しは違いますが、故郷の人々は山一つ越えた内陸部の人に言わせると「コワイ!」の一言だそうです。もう話しているのを聞くとまるでケンカをしているようだ、とよく言われます。

 私の見解はこうです。被災の歴史がそうさせているのです。泣いている暇なんてないのです すぐにでも生活し、稼がなければならないのです。県内に住んでいるので年に何回かは帰省します。そのたびに町の人は明るく迎えてくれます。けしてケンカ腰ではありません(笑)

 

 さてこのお正月は大変なニュースで始まりました。能登の地震と津波、それに航空機事故でした。まずこの震災と事故でお亡くなりになった皆様に哀悼の気持ちを捧げます。本当に災害は時を選びませんね。

 現在のところ地震でお亡くなりになった方は220人となっていて、そのうち災害関連死の方は13人となっているそうです。私はこの関連死の方たちが心配です。東日本大震災の際にも義兄が関連死いたしました。まだ救援体制が整わないのもそうでしょうし、精神的な疲弊もあるのでしょう。

 

 精神的と言えば災害時に子供のPTSDのことも話題になります。今回も行政からネットで対策をPRしていたりします。しかしながら私は経験上子供さんのPTSDはあまり気にしなくても大丈夫だと思います。

 私は小学校2年生の時最初の津波を経験しました。早朝長兄が海を見に行って「潮がすっかり引いているから逃げろ!!」と駆け込んできました。近くの高台から見ていたら、家がゆっくり津波とともに押し流されていきました。それから避難生活が始まりましたが、特に精神的ダメージを受けた感覚はありませんでした。後から思えばむしろ大人である親の方が大変だったようです。

 こんなことがありました。母が家が流された山手の方まで家財を探しに行くのについていきました。いくつかの食器を見つけて小川で洗いだしたとき、突然泣き出したのです。今まで母が泣いたのを見たことがなかったので大変驚きました。これは今でも鮮明に覚えています。

 

 先ほどの関連死のこともそうですが、すべて大人の方が亡くなっているようです。子供はまだ社会的な部分が未発達ですから、そこまで思いが達してないのではと思います。誤解を恐れずに言うと、まずお年寄りや持病のある方、妊産婦さん、その後にお子さんという順番なのでは、と思います。

 

 

「能登はやさしや土までも」

 

一日も早い復興を願ってやみません