昨日の久しぶりのブログ
もう皆さんに忘れられてしまったかな?
愚痴が多いから敬遠されてしまうかな?
なんて不安な気持ちを抱えつつアップしましたが、いいね!でいつものアイコンに出会えて、本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ブログ冬眠中、楽しいことなんてなくて、実家の母ごと、息子ごと、買い物以外はほぼほぼ引きこもっていたけれど、それでも独り言をつぶやきたいな・・・文字を打ちたいな・・・って思っていたから、思い切って再開してよかったです。
まだ、自分の気持ちの整理というか、自分が前に進むために折り合いをつけないといけないモヤモヤと格闘中なので、皆さんのブログにお邪魔するのは年明けからになってしまいそうですが、よろしければこれからもお付き合いいただければと思います。
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もうブログはやめようと思っていました。
でも、ここで出会えた方々とのご縁は失いたくなくて迷っていました。
どうしたらいいんだろう?って。
本当のことを伝えたい。
でも、重いことを伝えていいのだろうか?
しんどいから甘えさせてもらいたい。
でも、甘えていいんだろうか?
とかとか。
そして今回お留守番だったことと、母の手術のこと、そして息子ちゃんの扱いに苦労する日々があまりに長く続くことが重なって、心が折れてしまいました。
笑えなくて、生きる意味が見当たらなくて・・・。
でも、来年の32公演を知り、きっと、いや絶対に1度は会える!って思えたら、凍っていた心が少しずつ溶け始めました。ホントにそんな感じ。
嵐さんってどれだけ私に元気や生きる気力をくれるんだろう!と、自分たちを犠牲にしてまでファンのためにエネルギーを送り続けてくれるその存在をますます愛おしいと感じました。
そして、またブログを書いてみようと思えました。
自分でも、単純だなー、なんて自分勝手なんだろう・・・とは思いますが、今このタイミングを逃したら、戻れない気がしたので、またzeroからのスタートのつもりで、今度は弱い自分も捻くれた自分も甘えた自分も出していこうと思っています。
ここ数か月溜まっていた気持ちを吐き出したら、長くなりました。
重いです。暗いです。
自分本位な部分も多いかもしれません。
自分の世界に入っちゃってるのかも?とも思います。
でも、ずっと吐き出せなかった素直な気持ちでもあり、SOSなのかな。
気にかけてくださっている方に、一方的な文字ではありますが、今のありのままの私をお伝えさせてください。
***
嵐さんからの嬉しい発表に、来年に向けて生きる理由が見つかりました。
息子ちゃんが生まれて8年半。
モトダンが家を出ていって6年。
息子ちゃんが発達障がいの診断を受けて6年。
ここにずっといらしてくださっている方はご存知かと思いますが、息子ちゃんが正式な診断を受けるための診察の予約が入っている日の1週間ぐらい前にモトダンは家を出ていきました。本人曰く、週末には帰ってきていたから出て行ってない!らしいですが・・・。そして本人の名誉のためにこれだけははっきりさせるように言われていますが、家を出て行ったのは嫁である私のせいであり、息子ちゃんの障がいは全く関係がないそうです。
そこから6年。息子ちゃんの障がいと一人で向き合ってきました。
モトダンは障がいのことは知っていますが、療育などにかかわったことは全くありません。
小さい頃は本当に大変でした。洗濯機の音もダメ、掃除機の音もダメ、外に出ればエレベーターやエスカレーターに執着して動いてくれない、何にでも手を出すし、どこにでも行ってしまうし。夜中に洗濯機に毛布をかけて洗濯していました。エレベーターのない店を探して買い物にいき、買い物に出られないものは通販で買っていました。それでも外で「エレベーターに乗る」と床に転がって叫ぶ息子ちゃん。何度、脇に抱えてその場から逃げ出したことか。それでも、今ほどの閉塞感やつらさを感じたことはなかった気はします。
なんでだろう?と考えていて思ったのは、
まだ息子ちゃんの障がいとの日々がスタートしたばかりだったから
できないことばかりだったけれどだからこそできるようになることがたまにあったから
市の療育クラス、療育センター、病院のリハビリなどに通うことで私も愚痴を吐き出せていたから
かな。
2歳半で診断を受けてすぐに療育をはじめ、療育センターやその後入園した幼稚園の先生に助けられ、少しずつできることも増えていきました。
障がいの特性の1つですが、数字や文字に強かったので、言葉が増えていく中で、いろいろなことを説明することで乗り越えてきたものも多くありました。
でも小学校に入ると、幼稚園のときのように「これができるようになった!」と感じることが無くなりました。
正確には小学校では頑っているし、少しずつできるようになっていることもあるんですけど、私の目には見えません。
そして学校から帰ってきた家の中には、できないことばかりが残ってしまっています。
気持ちの切り替えがうまくできないという特性や、学校で頑張ったから疲れ切っていたり、母親に甘えている・・・などなど、いろいろ理由はわかっていますが、私に対しての八つ当たりというのかな、理不尽な態度がずーっと続いています。
周りの人からは言葉は10歳、11歳でも、中身や感情面はまだ幼稚園のレベルだから、そのアンバランスさを理解してあげてって言われるけれど、毎日一人で向き合って6年。
学校で頑張って疲れて帰ってくるのだから、優しく抱きしめてあげたい、のんびりさせてあげたい・・・と思うのに、息子ちゃんの将来を考えれば、できないことを1つでもできるように・・・と思ってしまって、口から出てくるのは「片付けは?」「宿題は?」「早くして」といった言葉ばかり。
いろいろ試しました。ツールも作りました。
言ってもやらないから、言わないで自由にもさせてみました。
でも、やりません。
で、宿題が終わってないと夜になってから取り乱す。
もうね、八方ふさがり。
そんな息子ちゃんの態度や言葉も、今まではやり過ごしてきたけれど、6年も毎日続けてきて、私の心が限界でした。
そこにきて、この秋は母の手術。
私の予定も考えず、2か月待ちでやっと予約の入れられた初診の日。当たり前のように父は付き添う気もなく、立ち会うために実家に戻った私。予約があっても待ち時間は2時間以上。退屈してぐずる息子ちゃんをなだめたり、病院中を散歩したりしながらの立ち合いでした。
で、診察室に入って数分後
「先生の空いている一番早い日に手術をお願いします!」と言い切った母がいました。
数分前に待合室で、今日は説明を聞いて、家に帰ってから手術をするか、するならいつにするか相談しようって話していたのですが・・・。
もちろん、同情もしてくれず思いやりもない父との生活に耐えられなくて・・・というのはわかるけれど、一人娘である以上、何かしらのことはしなくてはいけなくなるのに、その私の都合は無視でした。
そして、息子ちゃんの学校もあるし、気にしなくていいわよ、と言うけれど、半年ぐらい具合が悪く家に籠っていたせいもあり、認知機能が怪しくなっている母が一人でいろいろ決めたりできるわけもなく・・・。
でも、母が手術すると決めたのだから受け入れました。ただ、そのおかげでその日はそのままいくつかの検査が追加され、病院滞在時間は6時間。ADHDのある息子ちゃんを連れての立ち合いがどれだけしんどかったことか・・・。
そこからは母が「自分でできると思っていること」と「実際に母の今できていること」のギャップを埋める日々でした。本人は認知機能の衰えを認めていないし、自覚もないので、母を傷つけないように気を使いながらです。
手術前に何度か通院するスケジュールをカレンダーに書き込むように言えば、書かなくても覚えているというくせに結局覚えてなくて、家に戻ってからA4の紙に大きな文字で日付、時間、病院の中での移動する部屋の順番を書いて印刷をして郵送しました。
私が付き添わなくても済む付き添いにご近所の方が付き添ってくれましたが、ある日の電話で数年前に亡くなった方の名前を出して、
「明日は●●さんが付き添ってくれるから」と言い出しました。無意識でしょうが、やはり認知機能の不安は大きくなりました。
入院直前の説明に同行したら、説明を聞いたらやっぱり怖くなったと言い出し、いろいろ調べたり、先生にも追加で質問したのに、結局は予定通りでよかったようで、私一人が母の気持ちに寄り添おうとしたけれど、母はそこまで本気じゃなかったみたいです。そう、周りの人のことも考えずに思いつきで言葉を発する人なのです。
入院期間中に服用する普段から飲んでいる薬は1回ごとに分けてくるように、との指示があったので「私がやるからお薬だけもらっておいて」と言ったのに、「訓練になるから」と、全部の薬を細かく切り、仕分けをしてありましたが、めちゃめちゃ。もともと整理整頓ができないうえに、物事を順序立てて考えない人だから仕方ないけれど、やらなくていいといったことをやって、仕事を増やされるのって、ホントにイライラします。結局、ごちゃごちゃになった薬を一度1回ごとに分けた袋から全部出して、分類して、また分けなおしました。長期の入院なので、さらにそれを1週間ごとにわけ、看護師さんにわかるようにお薬手帳に書き込みをして用意をしました。まあ、それでも母の説明では看護師さんはわからず、電話がかかってきました。母にもちゃんと説明したんだけれど、理解しきれてなかったんでしょうね。
入院中にもいろいろありました。
病院の中は暖かいけれど、パジャマだけだとお腹周りが寒いので、冷え予防のパンツのようなものを買って送って欲しいとメールがありました。実家に送ったら父が持っていくというので、だったら直接病棟に送ると買い物に行って、すぐに郵送しました。
持ってきたはずのリハビリ訓練用の靴がないとメールも来ました。でも、私が荷造りしたときに入れたものはあって、どうやら余分にもう1組入れたのがないようです。なぜ入院に2組も靴がいるのでしょうか?
退院の日について病院から何も言われていないのに、勝手に「この日ぐらいに退院する」と、ケアマネージャーに連絡し、ケアマネージャーから退院後の在宅リハビリのスケジュールの相談メールが突然届きました。この時期私は、病院のケースワーカーさんや病棟の方と電話で相談し、まだまだ退院できる状態じゃないことを聞かされていたし、いつ頃退院がいいか相談しているところでした。
こんな様子なので、当初予定したよりも見舞いに行く回数は増え、その中の1回は日帰りでの見舞いでした。平日しか病院にいないケースワーカーさんと顔を見て相談するために、1時間目だけ息子ちゃんを学校に行かせて(皆勤賞にこだわっていたから)、お迎えに行って、そのまま高速に乗って4時間運転。病院についてケースワーカーさんと面談をして、主治医からも術後の説明を聞いて、母に頼まれた買い物を病院の近くで済ませて、また高速に乗って4時間。誰でもができることじゃないと自分で自分を褒めたけれど、この大変さは運転する人じゃないとわからなくて、母は運転しない人です。
息子ちゃんを連れてなので、運転をして、見舞いをして、実家のことをして、息子ちゃんの相手をして・・・って、ホントに大変でした。帰りの高速で、どうにも耐えがたい睡魔に襲われて息子ちゃんに15分仮眠を取らせてとお願いしたけれど、待つこと、黙ることのできない息子ちゃんが車内で15分待てなくて、結局ガムとコーヒー、そして嵐さんの声に助けられて家に辿り着きました。たった15分の仮眠さえもらえないなんて・・・と、泣きながら運転していました。もちろん、理解できないのは息子ちゃんのせいではないので、仕方ないし、無理なスケジュールを組んだ私が悪いんですけどね。
こんな感じで、次から次へと小さなことが積み重なって、私の中でいっぱいいっぱいになっていきました。
そうなると、ホントに些細なことがダメ押しになるんです。
これが忘れもしない財布事件。
母の退院が決まり、入院代の支払いにカードが必要ということになり、手術前に父親に預けて家に持って帰ってもらった財布を確認しようと、実家に顔を出したときに父親に母の財布はどこ?と聞いたら、そんなの預かってないの一点張り。
母は絶対に預けた、無くなったら困ると電話口で大騒ぎ。この件については母が預けたという話は手術前に聞いていたので父が家でどこかに置いたのですが、それすら覚えていないと。まあ、無意識にどこかに置きそうなタイプなのでそれ自体は驚きませんが、失くした本人が探そうともせず、絶対に預かってないと私に半ギレ。その様子を見て息子ちゃんは不安定になりわめきだすし、病院から母は何度も電話をしてきて困る、困る・・・と。
私は何も関係ないのに・・・とキレたい気持ちを押さえつつ、家中の引き出しを開けて、なんでここに?というようなところから財布が出てきました。ええ、父がそこにしまっていました。が、ごめんの一言もありませんでした。
自分が触ってもいない財布がなくなって、当事者でもない私だけが必死に探す・・・という状況に、あーこれが我が家の現実で、今の私の人生なんだなーと思いました。
支払いだって、父がクレジットカードを使えたり、ATMからお金を引き出して病院に持っていければ母のカードは必要なかったけれど、父はクレジットカードを持っていないし、ATMからお金を引き出すこともできない人間です。そういう自分ができないことのせいで周りにしわ寄せがいっているのに、そういうことは全く気にならない人間です。
財布が見つからなかったら、私が自分の口座から現金を引き出して置いていこうか・・・とか、財布を探しながら、ホントにいろいろ考えていたけれど、バタバタしたのは私だけでした。
この財布騒動ですが、私だったら
1)父に財布を預けるときに、自分の手で父のカバンに入れる
2)父が家に帰り着いたタイミングで連絡をして、どこにしまうか指示する
3)自分が連絡できない場合を想定して、私(母から見た私の立場の人間)にも連絡をしておく
ぐらいすると思います。
ええ、なぜなら父は物を管理する能力が欠如しているうえに、他人のことに全く興味がない人間ですから。そして私は「危機管理」といういつも最悪の状況を想定して動くことが仕事の1つだった仕事をしてきたから。
でも、母はただ父に財布を渡し、父は無意識に受け取り、無意識にカバンに入れ、無意識に家で財布を取り出し、無意識に偶然入れるスペースのあった引き出しにしまったんです。
この財布騒動で、それまで張りつめていたものが切れたというか、ただただ虚しくて、なんて損な役回りなんだろう・・・と、怒りをぶつける相手もなく、でも私が何かをしたわけでもないのに・・・と夜中に一人で泣きました。
今の私のGoogle Calenderには、息子ちゃんの予定、息子ちゃんの薬の予定の他に、母の予定、母が週1で飲むイレギュラーな薬の予定まで入っていて、前夜に連絡して確認をしています。自分の人生よりも、他人の人生の面倒を見る毎日。
3日ほど前には、背中の傷が擦れて出血したけど、どこに電話したらいいかしら?とのメールもありました。えーと、自分が入院していた病院じゃないんでしょうかね?その電話番号なんて診察券に書いてありますよねって言いたいけれど、それも言えない私。24時間緊急外来を受け付けている病院なので、休日だって電話はつながります。それぐらい自分で考えられないのかな?と思うと同時にそれが母の現在の状態なんだと不安も大きくなる中、病院の番号と、どんな風に事情を説明するか、予想される向こうの回答をメールで返しました。
この母の入院騒動の間も、息子ちゃんの態度はひどくて、何度も学校の先生と話し合い、病院の主治医にも相談し、他にも相談できる人には相談を続けました。このころには主治医から、一時的に離れるしかないのかも・・・みたいなことまで言われておりました。
私も、息子ちゃんが母親になら何を言ってもいい、何をしてもいい!と思っている態度を改めるには、それも必要なことかもしれないと思うものの、そんなことをしたら、いつの間にか立派な一戸建てを買い、息子ちゃんの部屋まで用意しているモトダンに何を言われるかわからないという別の意味でのストレスを感じる原因にしかならないという現実。
このころには笑う気力も無くなっていました。
毎日の当たり前のことすら1つひとつ伝えないと進まない息子ちゃん。ご飯の後に薬を用意し、歯みがきをしたか確認して、学校の荷物を確認して・・・まだ息子ちゃんの年齢なら当たり前のことなのかもしれないけれど、これがいつまでも続くという絶望感がどんどん大きくなっていきました。
いつもなら少しはのんびりできる週末に母の見舞いが入り、その週末で疲れた息子ちゃんはいつも以上に平日に荒れ、私も疲れているから受け止めきれなくて・・・。
そんな日々を過ごして思ったんです。
今の私の人生は私の人生ではなく、息子ちゃんのための人生で、実家の両親のための人生なんだって。
もちろん愛する息子ちゃんのために生きることは素晴らしいことだと思いますが、自分のことが何もできないことが本当に苦痛です。
モトダンに息子ちゃんを泊まりで預けることも周囲からはすすめられるのですが、一番大変なときに置いて出て行ったのに・・・、少し楽になった今になっていい顔するなんて・・・という思いと、息子ちゃんがモトダンと遊んだ後は必ず荒れる(心理的なものだと思われます)ということもあり、泊まらせたいとはまだ思えない自分がいます。半分は意地を張っていて、半分は息子ちゃんの面会後の態度の心配ぐらいの比率です。
結婚前、毎晩終電でも平気で、それがやりがい、生きがいだと感じる仕事をしていました。仕事が楽しくて仕方なかったです。
結婚のために東京での仕事を辞めてこちらに来ました。
でも、子育てが一段落したら、仕事に戻ればいい、なんだったら一緒に東京に戻って、君の得意な仕事を再開すればいいともモトダンは言っていました
自分が忙しい分にはどれだけ忙しくても耐えられます。そこに目標があり、その目標は自分の頑張りでクリアできるから。私はそういう環境が大好きでした。企画を立て、予算を確保し、結果を出す、その繰り返しが生きがいでした。まだ若くて、今思うと至らないことも多かったけれど、それでもそれなりの結果も出していたと思います。輝いていたはず。
それが今は、息子ちゃんの障がいの特性を考えると都会暮らしはとても無理、モトダンは出て行ったので私一人で子育て中、フルタイムの仕事に出たくても息子ちゃんの特性と突然のパニックや不調による予定変更を考えると出られなくて、今後は親の介護も現実問題になってきて・・・などなど、これでもかってぐらいの組み合わせが揃ってしまいました。
こんな状況でも打開策はあるんだろうし、もしかすると私はいろいろ言い訳を並べているだけなのかも・・・と思ったり、何かを我慢しないと現状は打破できないということもわかっているのですが、自分の仕事というものは自分が頑張れば成果も出せて達成感も感じられるのに、今の私は、いくら自分が頑張っても息子ちゃんの自閉症のこだわりや他の障がいによる特性が治るわけでもなく、実家の両親が今さら変わるわけでもなく、なんだったら母の認知機能の問題はもっと大きくなるだろうし、次は父の介護も出てくるだろうし、自分の力ではどうすることもできないものを前に、成果も見えず、達成感も感じられない日々を送っている、それがこの先もずっと続くという絶望感に襲われています。
子育てからも両親からも逃げ出して、東京に戻って大好きな仕事を全力でしたい!という思いすら持ってしまい、そう思う自分に罪悪感を感じてまた落ち込みます。
別に不幸自慢をするわけでもないし、きっともっと大変な人はたくさんいるのだから、このぐらいで愚痴ってはいけないと自分に言い聞かせていますが、自分の人生を生きたいです。
近くに寄りかかる肩が欲しい、無条件に受け入れて抱きしめてくれる人が欲しいと思ってしまいます。まあ、これはお話ブログの世界で現実逃避しているせいもあって、イケメン5人を基準に脳が動いているので、現実世界じゃそんな素敵な肩は存在しないんですけどね。
でも、もう私はこの先死ぬまで、男性の肩に寄りかかることはないだろうし、生身の目の前にいる男性にときめくこともなく、クリスマスもイルミネーションもGWも寂しく過ごすんだと思うと、それも絶望感の上に上積みされます。
長々とこうして独り言を書いていて、今まで見ないふり、気づかないふりをしてきたことがはっきりと姿を見せてきました。
実家の両親との関係がうまくいっていない
私は一人娘なので頼れる兄弟、姉妹がいない
実家の父は父の弟妹との縁が切れていて、実家の母には兄がいるけれど父の無愛想が原因で頼れない
息子ちゃんの障がいについて協力したいモトダンに対して私はまだ許せない気持ちがある
近くに心を許して甘えられる友人がいない
小学校から大学、社会人時代の友人とすっかり疎遠になってしまっていて寂しい
大好きな仕事を思い切りしたい
とかとか。
要約すると、兄弟姉妹もいなくて、親戚も少なくて、旦那もいなくて、友達もいない。
そう、寂しいんです。
嵐さんを見ていて羨ましいと思うのは、同じ時間を一緒に過ごしてきた仲間が横にいること。
誰かが横にいるって、かけがえのないことだと思います。
たぶん、このブログで知り合ったお友達が一番私の本音を知っているんじゃないかと思います。ううん、絶対にそう。
だって、ここでは最初から弱音も愚痴も吐いていたから。
この間は初めて、突然電話をして泣きついてしまいました。文字で泣き付いたり、弱音を吐かせてもらっているお友達もいます。
元々甘えることが下手で、何でも自分で抱え込んでしまう性格の私が、今電話したら悪いかな?と思いながらも、相手の迷惑も考えずに電話をしたのは初めてでした。
そこからも、23日まで、目の前は真っ暗でした。息をしても空気が体に入ってきていると感じられませんでした。世の中がクリスマスムードなのに、我が家にはクリスマスもサンタクロースもやってこないクリスマスでした。(このクリスマスについては1つ前のブログで多少明るい報告ができました)
今でも息子ちゃんは何も変わらないし、明日からは実家です。実家で母のリハビリに付き合いつつ、息子ちゃんがずっと実家にいると母は疲れ、父は機嫌が悪くなるので、昼間は息子ちゃんを外に連れ出し・・・と、実家に帰っているのに居場所がないというか、居心地の悪い年越しを過ごすのかと思うと、憂鬱でしかありません。
でも、来年こそ嵐さんに会えるという希望が1つできました。
その希望をきっかけに、こうしてブログも再開し、今のありのままの自分をさらけ出してしまいました。
来年は、取り繕わずに、無理なことは無理、ダメなものはダメ、泣きたいときには泣く、そんな風に少しずつしていこうかと思います。
お話ブログを書いている方から「自分の幸せを一番に考えるしかないんじゃないかな」っていう言葉をいただきました。まあ、我が家の場合は自分ひとりでは生きていけない息子ちゃんと、自分で自分のことすら面倒の見られない両親なので、手を離すわけにはいかないけれど、自分を全部犠牲にするのではなく、自分の幸せだったり、自分の気持ちをもう少し大事にしてあげていいんだと思いました。
なんとかうまくまとめようとしているのですが、まとまりがないままここまで書いてしまいました。
要約すると
息子ちゃんが大変
そこにプラスして母が入院、手術
そしてその母に手がかかる
父は自分勝手ですぐブチ切れる
みんな自分の希望ばかり優先
で、私の心が折れた
心が折れて寂しい、甘えたい、誰かと触れあいたい
自分のしたいことを思い切りしたい(仕事や嵐ごと)
そんな感じでしょうか。
気にかけてくださる方々に、ちゃんとお返事ができていなくて、本当にごめんなさい。今は甘えさせてください。返事もできていないけれど、とても励まされているし、嬉しいです。
紅白を前に、一度ぐらい渋谷のNHKに翔くんのポスターでも見に行きたいな・・・とか、息子ちゃんを楽しませるためにお江戸に出ないとな・・・とか思っています。とてもじゃないけれど、手土産のグッズを作る気力もなく手ぶらですが、もしお江戸で相手をしてもいいよーという方がいらっしゃいましたら、お声がけください。
渋谷で翔くんの紅白のポスターを見て、汐留でTOKIO兄さんとの大きなポスターでも見たいなーとかとか思っております。
今は誰かに甘えさせていただきたい、「嵐さんが好き!」という、今の私にとっては最高の共通言語を持つ誰かの傍で、自分だと感じられる時間を過ごしたいと思うんです。私と一緒に息子ちゃんの相手をして助けてください。
なんだか書いているうちに、いろいろ考えが飛んでしまい、読んでも意味不明かもしれませんが、冬眠中の心の声をまずは文字にしてみました。
***
24日のzero.
ツアー終了直後の翔くんを画面越しに見られて、それだけで涙が出てきました。
来年こそ会えるね。
ファンのために、さらなるハードスケジュール、そして新たなる挑戦をする嵐さんへの感謝は、また別の機会に改めてゆっくりしたいと思います。