なんとかひらがなを読めるようになった3、4歳の頃から還暦を過ぎた現在に至るまで、べえの趣味のトップに来るのは一貫して「読書本である。

 

2つのことが同時にできない単細胞人間ゆえ、音楽鑑賞はほとんどしない。メロディに気を取られて、読んでいる本の内容が頭に入らなくなってしまうからだ。

 

クラシックもポピュラーもほとんど聴かないくせに、簡単な楽器演奏は大好きドキドキで、小・中学校の音楽会では合唱のピアノ伴奏者や珍しい楽器の演奏者にホイホイ立候補していたパーハイハーイ

 

歌うのも大好き。たいしてうまくもないのに合唱団に30年、声楽レッスンに18年も通い続けた音譜

 

大の運動嫌いで本質的には人見知りのべえ。

 

もしも歌をやっていなかったら、家で本ばかり読んでいるヒキコモリおばさんになっていたに違いない家

 

 

さて、音楽の手ほどきとしてべえがピアノを習い始めたのは4歳の頃。

 

最初の先生は当時音大に通っていた19歳のYako姉ねずみ(3日前に昇天笑い泣き)だったのだが・・・


(以下の話は以前にもブログに書いたような気がするのですが、今回はYako姉追悼バージョンとして、より詳しく書いてみたいと思います)

 

皆さん。身内に芸事を習ってはイケマセン。

 

先生が毎日家にいるのでは、どんなに気が乗らなくてもレッスンをサボれないからだ。

 

しかも、実の姉なので教え方にも遠慮がなく、厳しいのなんのってムキー

 

更にヤマハ音楽教室にも有無を言わさず拉致・・・いや、通わされて、わらべうたを歌ったり、マグネット付きの音符を金属製の五線紙に並べたり、リトミカなる奇妙なリズム楽器を叩かされたり。

 

ま、こちらにはお仲間がいたので、まあまあ楽しかったのだが。

 

 

小学校に上がる頃には朝晩2回のレッスンが義務付けられた。

 

几帳面なYako姉ちゃんはレッスン開始時刻5分前から自宅別棟の板の間に置いてあったアップライトピアノの前にきちんと座って待っている。

 

Yakoが納得するまでレッスンは終わらないので、練習嫌いで上達が遅かったべえはしょっちゅう学校に遅刻していた。

 

朝のレッスンもイヤだったが、もっとイヤだったのが夜のレッスンだ。

 

見たいテレビがあったり、遊び疲れて眠かったりすると、「ピアノ、いやだぁ~えーん

 

ワガママな末っ子べえはダダをこねた。

 

すると、末っ子に甘い母が「じゃ、Yakoにべえはもう寝てしもうたって言うちゃぎょうかね」と助け船を出してくれたのだが・・・

 

 

(続く)