偶然にも同じタイミングで2軒の家を売ることになった。
物件その①
宝塚市の分譲マンション
3LDK 築35年
わが一家が平成元年~令和2年まで暮らした思い出のマイホームである。
入居時にはオット27歳、べえ
25歳、長男
2歳、次男
はべえのお腹の中にいた。
この家から息子たちは幼稚園に通い、小学校に通い、中学校に通い・・・(中略)
そして社会人となって巣立っていった
オットの退職までは通勤の便の良いこのマンションに夫婦で住むつもりだったのだが、コロナ禍でオットがテレワークをすることになったため、とりあえず2階に仕事部屋を確保できる山奥の戸建て住宅へ移動
そのままオットの仕事はテレワーク中心となり、結果われら夫婦もそのまま山奥の家に住み着いてしまった。
空き家となったマンションの管理費や修繕積立金、電気、水道の基本料金を払い続けるのはあまりにもアホらしい。
わかっちゃいたのだが、売却のためにはまず35年分の膨大な荷物を片付けねばならぬ。
まだ使えるものや思い出の品々をより分けるだけでも大仕事、更に家具や大型家電の処分もしなければならない。
このほどようやく片付けが終了し、不動産会社の仲介で良い買い手さんも見つかり、めでたく売却の運びとなった。
不動産屋さんとの打ち合わせ用の座卓だけが残ったリビング。
あらま、こんなに広かったっけ?
本棚だの電子ピアノだのテレビボードだのに囲まれ、
ゴチャゴチャと散らかっていた日々がなんだか懐かしい
ベランダの向こうはゴルフ場と山。
眺望絶佳の家だったなぁ。
キッチンと和室 (オット特別出演)
このキッチンで毎日せっせと家族4人分の料理を作った
息子たちが小さい頃には和室に布団を敷いて「川の字+1」で寝ていたなぁ。
キッチンだけは1度リフォームしているので壁紙がミョーに白い。
和室上方の砂色に変色しているのが35年ものの壁紙である。
こんなにくすんじゃうのねぇ。
リビングダイニングと和室は南向き。北側には2段ベッドと机を入れて息子たちが使っていた洋室が2つあるが、写真は撮らなかった。
あまり思い入れがないのよね。べえはほとんど足を踏み入れなかったから。
え、掃除? するわけないじゃん。←ひどい母親
掃除もせずに何をしていたのかというと、せっせとあちこちの合唱団や個人レッスンへ足を運び、歌いまくっていた
今にして思うと、われながらあまりにも自分勝手なヒドい主婦である
ありがとう、息子たち。こんな不良母の下でグレもせず育ってくれて
ありがとう、オット。真面目にせっせと働いてくれて
からっぽになった元わが家を見渡しつつ、感慨にふけるべえなのだった
物件その②のお話はまた次回に。
(続く)