山部神社本殿 (一間社流造り)

建立は室町時代。元は小松大明神という産土神を祀る神社だったそうだ。

明治9年(1876年)に現在の「山部神社神社」に改称、山部赤人を祭神とした。

没後千年以上もの時が流れ、ある日突然神様として祀られた赤人さん。

あの世でどう思っておられるのやらはてなマークチーンナンデヤネン

 

 

 

さて、皆様、大変長らくお待たせしましたウインク

 

なぜここが山部赤人終焉の地と伝えられているのか、これからご説明いたします。

 

神社の右手をご覧下さいませ。お隣に小さなお寺が建っておりまぁす。

 

 

 

赤人寺(しゃくにんじ、あかひとでら)

創建年代は不明。山部赤人が建立したとされている。

なるほど、先にこのお寺があって後にお隣の神社ができたわけか。

お寺というよりは質素な古民家みたいだけどあせる

 

 

 

このお寺の境内には「赤人桜」と呼ばれる桜の木がある。

 

 

赤人桜 (たぶんこれだと思う。実はお寺の裏にもう1本桜の木があったのだが)

お寺同様、ひっそりと慎ましやかに咲く桜桜

言い伝えによると、この地を訪れた赤人が冠を脱いで桜の枝にかけたところ、それがどうしても取れなくなってしまったため、ここに永住することにしたという。

えーっ、冠ひとつで終の棲家を決めちゃったのはてなマークびっくり

もしかして、冠を失くした役人は都へ戻るべからずという鉄の掟があった・・・わけないか。

「これも何かのご縁ニコニコ」と思ったんでしょうかね、赤人さん。

 

 

 

冷静に考えてみれば千年以上も前の桜の木が現存するわけがない。桜はそこまで長寿の樹木ではないからだ。

 

でもま、伝説とはそういうもの。

 

「ウソだぁえー」とケチをつけるよりも、「そうか、この桜かおねがい」としみじみ眺める方がずっといいよね。趣深くって。

 

 

 

 

(もうちょっとだけ続く)