母がパニックを起こしたことで
自分自身の一部を認識することが出来た。
そして母の事も、以前までだとパニックが治まった後も
四六時中母のことを考え、常に目を配り
またパニックを起こさないように、私がどうにかしなきゃ。
と神経をとがらせていたけど
今は、ああこの人も苦しんでいるんだ。と思って
苦しんでいるなら何か手を貸してあげようか?と
一歩引いて見て考えることが出来るようになったと思う。
何か手を貸してまた依存されるのは怖かったし
普通に話すことすらまだまだ怖いのに
精神的に脆い部分を指摘することは
攻撃と取られて傷つけられる可能性があるから
話をしようか悩んだけど
パニックを起こして呼び出したことごめんなさい、
頼ってはいけないのにごめんなさいと謝る母を見て
やっぱり切なかった。
この人は距離感が全然分からないんだと。
どういう時に頼って良くて、どこまでは一人で頑張るべきなのか
この人自身も機能不全家族で育ってるから親子の距離感も分からない
あと、きっと母は人の感情が分からないから余計難しいんだろう。
母は母でただ、仲のいい家族でいたくて
母なりに一生懸命考えた方法でやってきた。
母だけで独りよがりで考えて従わせてきたから間違いだらけだけど
母が自分にとって最高の家族が欲しいのではなく
私と家族で居たいと思っているなら変わる努力をするかもしれない。
それが母の精神的な自立につながって
母も楽になるし、結果私も楽になる。
それが分かってもらえるかは分からないけど
苦しいならカウンセリングを受けたらどうかとすすめた。
自分に問題があると思っていない母はその提案に狼狽え
少し考えさせて、と言ってその話は終わった。
カウンセリングをすすめる話の途中で
私の中で大きな変化が起きていて
カウンセリングを勧めながら、『どうでもいいけどな』と思い始めていた。
今更母が変わろうが変わるまいがもうどうでもいい
投げやりなわけではなく、何だかすっきりと前向きな気持ちでそう思った。
仲の良い親子が羨ましかった。辛い時に抱きしめてくれる
安心できる存在が私にも欲しかった
だけどこの人はそういうタイプじゃないんだ。
寂しいけれど私の母はそういうタイプじゃないと
そう思えるようになってきた。
今なら母を捨てられる。母に何か嫌なことをされた時
ほなさいなら。とあっさり消えられると
何故だか急にふっきれたようにそう思った。
とても心が軽くなった。
そして、そんな自分の気持ちが本心なのか確かめる為
母の気持ちを確かめる為、その思いを伝えることにした。
