過去の日記から 多発性骨髄腫 闘病記
2005年から未知の難病と闘い続け、なんども入退院を繰り返し、それで2013年の2月までは、自宅から日赤病院へ通院していました。私たち夫婦は毎回送迎していましたが、たしか病院でいろいろ検査中に、急に夕方から高熱がでて意識困惑、個室に移されて、、、そこから医師が判断するも、もうやることはやった。みたいな話で、現在は別の病院にいます。
私たちの環境もかわって、主人は仕事で送迎は難しくなり、、私はバスと電車をのりつぎ、毎週、これで3回目かな、見舞いに行っていました。1回目 2回目と、会話もできて、ご飯も少しだけ食べていたんです。ところが、今週木曜日、見舞いに行ったらば、呼吸ができないみたいで、酸素のチューブはされている、ご飯はまったく食べられない、手がぱんぱんにむくんでいる。
手を握ると、外は22度以上あるというに、手はとっても冷たい。

いつもいつもあったら、必ず父の手を握るのです。
私にできるのは、、、それだけ。
こっちの元気なエネルギーが少しでも父にわけられたらいいのに。
そんな祈り
春休み、子供を見舞いにつれてきて欲しいと母がいうため、今回 中2の息子を連れて行ったんです。
まだ意識もあり、息が苦しいから会話はひとことふたことですが、息子はなんとか、話せました。
