西暦1603年、オスマン帝国皇帝メフメト3世が30代で急死し、皇子のアフメトが13歳で帝位に就いた。後宮ではメフメトの母で太皇太后となったサフィエと、アフメトの母の母后ハンダンの確執が始まった。前皇帝の妹の皇女ファーリエは、オスマン帝国の属国であるクリミア・ハン国の皇子メフメト・ギライと愛し合っていたが、海軍提督のデルヴィーシュと婚約させられていた。デルヴィーシュは大宰相になるかと思われたが、大宰相になったのはソコルル家のララ・メフメトだった。デルヴィーシュはハンダンを愛していた。オスマン帝国では、皇帝が即位するとその男の兄弟らは殺されるのが習慣で、メフメトの兄も殺されていたが、メフメトは弟でハリメを母とするムスタファを殺さないと決意した。
