日記にとどめておこう。いろいろあった。今年の正月は無事を喜んで、父は上機嫌でした。
酒の力でめったに言わない母への感謝の言葉は、本当に嬉しそうに言ってましたね。
GW以降に、意識が朦朧、私たち夫婦は車で実家に行き、父を車に乗せて病院へ運んだ。点滴がきいたのか、少し意識も戻り、数日のち退院。その後、肺炎をこじらせ入院。
塩分が足りないからと、普通の塩を毎日摂取する日々。
あと、散歩をしていても、意識が朦朧とするようになった。
それも塩分のせいなのか、、多発性骨髄腫と言う難病は、医者にも未知の世界。
本人いわく「まな板のうえの鯉」
さして無理をするでもなく、父はただ運動のために参加していた体操教室で、いつのまにか圧迫骨折していた。骨がもろくなる病とはきいていたけど、「まさか体操で?」びっくりした。でも骨折は治らない。コルセットが必需品だ。
父はずっとコルセットを嫌がっていたけど、それをはめないと、歩けなくなると言われて、観念した。しばらくして、また入院。
6月にはいってからかな~退院すると実家の母から電話あり、車で病院に迎えに行ったけど、父の意識が朦朧、食欲もないとの話。母もびっくり私らもびっくり医者もびっくり。入院が長引くことになった。
その後母と数回見舞いに行くけど、父の意識がはっきりしない、話しても意志の疎通ができない、食欲がない。あと体の痛みがあって、動けないなど、難関は多くあった。
何度も祈りました。祈るしかできないから。。
「意識がもどって、1人で歩けるように」それを祈った。
母は介護の用品をレンタルする手はずまで考えていた。自宅介護の大変さは誰もがわかっているから。
兄が様子を見に来てくれて、母に携帯をもたせてくれた。
7月になり、急展開。父の意識が戻り、食欲も戻ってきたと。
祈りは届いた。
何の薬がきいたのかそれか体の変化かもわからないけど、あれだけ痛がっていた痛みもとれ、ようやく父はリハビリにこぎつけ、今週ようやっと、しかもゆっくりとだけど歩けるようになっての退院。
とはいっても骨がもろい病気なのと、カビが体内にはいりやすいとかで、外に出るのはしばらく禁止。ご飯は今のところ、おかゆ状態のもの。
肺炎が一番怖い。転ぶのも、とても危険、車椅子は必需品になるだろう。
おむつも、薬の管理もまだ、必要。
でも、でも、、父、やっと帰ってきたんだ~
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日本骨髄腫患者の会ホームページへようこそ
無病息災を人は皆願っているのですが、はからずもなにかしらかの病気を患っていることが分か ると、その病気は一体どんなものなのだろうか知りたいと思います。調べるまでもなくありふれた病名であればもちろんのこと、あまり聞いたことのない病名で も、多くの人々が罹っていればたとえ治療があまり簡単でなくともなんとなくほっとします。血液がんの一つである「多発性骨髄腫」に罹患する人は毎年10万 人あたり2人か3人ですので、これはとても稀な病気です。その上、残念なことなのですが治療が難しいだけでなく、はっきりとした治癒例はこれまでありませ ん。医学書などでこの病気を調べれば調べるほど絶望感が押し寄せてくるかもしれません。
多発性骨髄腫を告げられた方の殆どは、この病気がどんなものであるか、またどんなことが待ち 受けているのか知りません。自分はどうなってしまうのだろう、という不安に覆われ始めた戸惑いの中で、この日本骨髄腫患者の会のホームページを覗かれたの であれば、きっと心のどこかに微かかもしれませんが安堵の雫が生まれると私たちは信じています。
より良い治療と生活の質の向上に向けて
今何をすれば良いのだろうか、ほうっておけるのだろうか、どんな治療をすれば良いのだろう か、主治医は間違いないだろうか、・・・。沢山の疑問が次々と溢れてきますが、このホームページのあちこちに目をやる度に何かのヒントが見えてくるかもし れません。長い期間無治療で過ごされる方も中にはいらっしゃいますが、この病気とわかった以上は早めに治療の方向性を考えておくことが病勢を抑えることに 繋がると思います。
病気の知識を得る情報もあります。新しい治療や薬の情報もあります。治療の経験談を聞く事もできます。それでもまずは骨髄腫にかかってしまったこの現実を 受け止めねばなりません。そして患者の会からの情報を主治医との相談に役立て、これからのより良い治療と生活の質の向上をご自身のものにして頂ければと、 私たちは心から願っています。
患者の会の情報だけで治療の全てに事足りるわけではありません。ですが、なによりも知って頂きたいのは、ここには仲間がいることです。けして一人ではありません。孤独な闘いではないのです。語らい合う友がここにもあそこにもいます。どうか決してそれを忘れないでください。
