テレパシーのことを日本語だと「精神感応」と表現するらしいのですが、最近の私はそんな「テレパシーを使って思考のやり取りを行う機会」がとても増えたように思います。
というのも、私はレムリアの皆さんと交信出来るようになったことをきっかけに、現世地球上に存在する自然物や動植物の皆さん、そして、そういった皆と共に存在する精霊さんとも思考のやり取りが出来るようになったため、
はたから見れば「一人で家で家事をしながら過ごしている」ように見えつつ、実際は「毎日のようにレムリアの皆や精霊さんたちと思考のやり取りをしている」、という状態で。
そんな自分の毎日を振り返るたびに「人生って本当にいろんなことがあるんだなあ」とか「こんな不思議なことが現実に起こるものなんだなあ」とか「でも、私のこんな毎日を現世地球人の皆さんにお伝えしても、きっと中には私の言うことを信じなかったり、ありえないことだと否定してくるかたはいらっしゃるんだろうなあ」とか、そういったことを考えるばかりです。
とはいえ、私にどんな「人様のお考え」が届いたとしても、私の人生は実際こういう人生であることに変わりはないので、私は私なりに自分の人生やその時時で考えることに真摯に向き合っていくだけなのですが。
その「自分なりに真摯に向き合ったこと」の中には、「誰も幸せにならない」ということを痛感させられる「現世地球上で発生している諸問題(特に国同士の衝突や戦争問題と、それに伴う人類の危険行為)」も数多くあり、そのことに気づくたび、私は悲しい気持ちになったり、己の無力さを感じて胸が痛んだりもしています。
その中で、私が「自分は確かに無力かもしれないけれど、それでも、微力でも何か不思議な力を発揮出来ることがあれば頑張ってみよう」と思って行動したこととして「熊問題に対する動き」というものがありまして、
約一ヶ月の準備期間(当然のことながら野生動物や植物の中には人間を敵視している存在も多数いらっしゃいますので、私が「とりあえずお話をさせていただけないでしょうか?」と思考を飛ばしても、野生動物の皆さん、特に熊の皆さんからは、最初は門前払いされてしまいました。でもその後、少しづつ「お話してもいいですよ」と私に声をかけてくれた数種類の野生動物さんがいてくださり、その内容が野生動物や植物の皆さんに対しての私の印象を良くしてくれたそうで、そこから御縁が広がり、先日やっとツキノワグマの主さんが「人間に考えを聞きたい」と私に話しかけてくれたのでした。)や、
「私から、野生動物の皆さんに人間として誠意を見せる期間(とにかく皆さんに毎朝挨拶をし、少しでも私に話しかけてくれた皆さんに対しては、そのお話に対し私が真剣に耳を傾け、皆のお気持ちに寄り添う。そういったことを繰り返しました)」を経て、先日やっと、「日本に生息するツキノワグマの主」とテレパシーで思考のやり取りをさせていただくことが出来ました。
その結果わかったのは、やはり私も予想していた通り「地球上で起こっている諸問題の原因を作ったのは、現世地球人である」ということ。
自然を壊し、野生動物たちの世界に勝手に入り、元はそこには無かったもの(ゴミや外来種)を落としていったり、大騒ぎをしてその場を汚していく。
「自然や野生動物との触れ合いを高らかに謳って山に足を踏み入れておきながら、結局人間は自分の満足度を優先させている」
「もちろん、現世地球人全員がそうではないことも理解はしているし、熊の世界でもそういう思考を心に留めておくようにはしている。しかし、自分たちの都合がいいように自然や野生生物のことを解釈する姿を見ると、我々の尊厳が傷つけられ、種族として生き残って行くことに対する危機感を感じずにはいられない」
「ただ、現世地球人の中には善人も悪人もいるように、野生生物の同種の中にも善に重きを置くものと悪に重きを置くものがいるのは事実。実際今人間界で問題になっていることに該当するもの(熊)は、「子供の熊」や、「幼少期に好奇心で人里に足を踏み入れて熊の正式な世界から外れかけた位置にいる熊(その主さんのお話だと、ツキノワグマの世界では、自分たちのテリトリーを守るために「少しでも人間と関わった熊」は仲間から排除される傾向があるらしいです)」がほとんどだ。熊としての思考が幼く、または偏りがあるからこそ、普段山の中では見聞きすることのない場所に自分が紛れ込んでしまったことに脳の理解が追いつかず、パニックを起こし、たまたまそこにいてしまった人間を襲ってしまう」
ツキノワグマの主さんにそう言われた私は、「人を襲ってしまった熊もある意味被害者だし、でも実際熊に襲われてしまった人間のかただって当然のことながら被害者だし、そのかたが熊の世界を壊してしまったわけではない。どちらも、自分が大切に思う仲間と共に幸せに穏やかに生きていいはずの存在なのに、どうしてこんなことになってしまうんだろう」と悲しくなりましたし、切なくて涙が出てしまいました。
確かに「自然に躊躇なく足を踏み込んで、私利私欲のために荒らしてしまう人間」も存在するけれど、そうじゃない人間もいる。
今回犠牲になっしまったかたがたの中には、地元のかたや「そこにずっと住んでいらしたかた」も数多くいらっしゃるわけで、
となると「悪事を働いた本人は無害で、無関係のかたが被害を受けてしまう」ことになっているような気がする。
それはとても理不尽なことだと思いますし、被害に遭われたかたや御家族のことを想うと、本当に辛い。
なんとかしたい、なんとかしてほしい。
誰も幸せにならないことは、一つでもこの世から消えてほしい。
ツキノワグマの主さんとの交信が終わった後も、私の頭の中はそんなことばかりが浮かび、
しばしソファに座ってじーっと無言で考え込んでいたら、
レムリアの皆が「一緒にいてもいい?」と何人も私のそばに来てくれて、
「一つの世界で様々な考えや種族の違いが共生するというのは、本当に難しいことなんだ」という話をするばかりでした。
そんなこんなで、私も熊問題に関しては「画期的な解決策」を見出だせずにいるのですが。
(だって私がツキノワグマの主さんと交信した事やその中で話した内容を有識者や専門家のかたに伝えたとしても、非現実的だし非科学的だし、誰も信じてくださらない気がするのです)
ツキノワグマの主さんが最後の方で「冬にまた人間と熊の関係性には動きがあるはず」というようなことを仰っていたので、今考えてみるとそれって「冬眠」のことなのかな、と考えたりもしています。
あと、後日そのツキノワグマの主さんが存在する「日本国内にある、とある山」に共生している精霊さんが私のところに来て、
「主からベルタンへの伝言を預かってきましたのでお伝えします。話を聞いてくれて感謝する、とのことです」と教えてくれたので、それは私にとっては大きな救いになりましたし、また機会があれば、思考のやり取りをさせていただけたらいいなあとも思います。