昨日北海道東北地域で起こった地震と津波に伴い、昨夜からずっと、私もなんとなく落ち着かない時間を過ごしております。

 

とはいえ、日本は特にこういった災害が多い地域ですし、どんなに私が心配しても世界の動きが劇的に変わることもなく、ただただ「一人で考え込もうが、誰かと交信していようが、時間は過ぎていくばかり」ですし、こうして「自然界に宿る精霊さんや野生動物や植物の皆さんと思考のやり取りが出来るようになった私」が毎回思うのは、「自分が想像していた以上に、野生の動植物の皆さんや自然界の皆は、自分に起こった流れに抗おうとはせず、なるような流れに沿って生きていらっしゃる」ということで。

 

 

 

昨日も「津波警報の音を聞きながら、心がざわざわし続けて止まらなくなってしまった私」に届いたのは、

「今まさに津波のうねりが起こっているであろう海中にいる野生動物の皆さん」から届いた、「こっちは波の流れに乗ってうまくやり過ごすから、ベルタンこそ気をつけてね」という言葉でして、

 

そんなことを言われた私としては、改めて「皆がそういう泰然自若的な感覚の持ち主であることはわかっていたはずだけれど、それでも、やはり人間とはスケールが違うのだなあ」と感じてしまった次第です。

 

 

 

 

 

これは先日、ヨーロッパエリアにいる災害救助犬の皆さんと交信したときに感じたことでもあるのですが、

 

当たり前のことかもしれないけれど、動植物や自然物の皆は、人間(現世地球人)とは価値観が違う。

(ちなみにその時に私が聞いた話というのは、災害救助犬の皆が言うには「日本人はわりと冷静だし、自制が強く出来る人が多いよね」ということでした。被災地で救助犬の皆がどなたかの御遺体を発見した時、それを近くの場所で待つ「今探してもらっているどなたかを大切に思う人々」の反応として比較をした時、日本人が一番冷静に見えた、とのことでした。もちろん日本人だって本心は泣き叫びたい気持ちや行き場のない悲しみをどこかにぶつけたくなっているはずですが、その場にいる誰をも責めることは出来ないし、だからこそ、見つかったことに感謝したりもする。それは救助犬の皆もわかってくださっているのですが、やはり他の国で活動をした場合、瓦礫の中から御遺体が見つかった時に激しく泣き叫んだり暴れてしまうかたもかなり多いそうです。救助犬の皆からそんな話を聞かせてもらいながら、私もそういった現場を想像しただけでも切ないですし、とても辛いなあと感じました。とはいえ、こうして泣き叫んでしまうかたのことだって責めることは出来ないわけで。そういったことを考えると、災害や戦争で幸せになる人は誰もいないのだと、改めて思います)

 

 

ただ、そういった「あまりにも違う価値観」を持つもの同士だからこそ、「語り合ったことで得られる聞知というものも大きく、

私にとっては「自分一人の力では絶対に知ることが出来ない、大切なこと」だと考えておりますので、

これからも出来る限り、そして末永く「レムリアの皆や動植物の皆、そして自然界に宿る精霊の皆さんたち」との交信が続くことを願うばかりです。