「心がずっとざわざわする一日」を、今年も私は過ごしています。

 

 

 

東日本大震災から14年。

 

もうそんなになるのですね。

 

 

今朝のニュースで「未だ避難生活をしている人の数」というのを紹介していたのですが、私はそれを見て、とても違和感を覚えてしまいました。

 

避難、

 

未だ避難、

 

14年が経過した「避難」は、それを選んだ人たちにとっては、もう「避難」ではない気がして、胸が苦しいです。

 

 

震災当時、私が住む地域は幸い津波の被害は免れましたが、

私の親戚は東北に集中しているため、数人の親戚は津波の犠牲になりました。

 

 

「探しても探しても、見つからねんだ」

 

そんな連絡を受け、私も「行方がわからない親族の捜索」を手伝うために避難所を巡り、とうとう「市民公民館に作られた遺体安置所」をおとずれたりもしましたが、あの光景は一生忘れることはありません。

(でもそこで、やっと、行方不明だった親族に会えました)

 

 

 

自分の無力さ、弱さ、要領の悪さ、そして自分がいかに無知であったか。

 

そして「すでに子供の親として生きている自分」は、これからどう生きていくべきなのか。

 

 

 

そういったことに対してひたすら考え続け、自分に対しては様々な反省点ばかりに襲われたことも、まるで昨日のことのようです。

 

 

 

 

 

 

何年経っても、忘れないし、

思い出せば涙が出そうにもなる。

 

そのたびに「でも、私よりも辛い想いをした人はたくさんいるんだから」と考えて、今までずっと過ごしてきましたが、

 

今年はそんな「一人で考え込んでいる私」の周りに数人のレムリアンが来てくれて、何も言わずにただそばにいてくれる(と私が感じる)だけだったのですが、その優しさが嬉しくて、改めて「レムリアの皆と繋がることが出来てよかった」とありがたく感じました。

 

 

 

毎年黙祷は一人でしていたけれど、

 

今年は今私のそばにいてくれるレムリアンと一緒に黙祷します。

 

 

「一緒に祈るよ」と言ってくれたレムリアの皆、ありがとう。