私が人に会った時、そのかたに見える光やオーラというのは本当に様々な種類があります。

 

そんな私が毎月憂鬱な気持ちになるのが、「持病のために毎月一回行っている、病院の診察日」でして、

幸い最近は「入院しない治療」で済んでおりますが、いざ「入院して治療をする」となると、私にとっては「闘病に加えて負の光やオーラの多い病院での生活」が待っているため、今は様々な「健康に関すること」に気を配り、持病の悪化やそれに伴う入院を避けている状況です。

 

 

とはいえ、私が「自分には人様のお持ちになるオーラや光が見える」と自認したのは最近のことですので、それ以前の通院や入院生活ではただただ「どうして病院ってこんなに空気が重いのだろう?どうして私はこの場(待合室等)に座っているだけなのに、こんなにも疲労困憊になってしまうのだろう?」と悩むばかりだったのですが、

 

今は「ああそうか、私は病院にいる間、負のオーラや光を感じ取っていて、だからこんなに気持ちが沈んだり身体がひどく疲れたりするんだ」という「納得のいく理解」が出来たので、その点では、少しではありますが「気が楽」になりました。

 

 

 

 

 

じゃあ、それとは反対に、私が「人様の光やオーラを感じて、楽しい、明るい気持ちになれるのはどういった場所や人の集い」なのだろうか?

 

そのことについて「今までの、自分の経験と体感」を思い出して出した結論は、圧倒的に「子どもたちが集う場所」と「スピリチュアルや宇宙や運命などについての事柄に関わり、自ら発信をしている人たちの集う場所」だったように感じます。

 

 

 

子どもたちが集う場所、つまりそれは幼稚園や保育園等のことなのですが、

今思えば、自分の子供を迎えに行ったり、行事で子どもたちの姿を見た時、子どもたちが虹のような色の中でキラキラしていた。

その光はまだ「大人と比べたら小さめ」ではあったけれど、ひとりひとりの持つ色が本当に様々だから、皆が集まるとすごくカラフルで楽しかった。

(と、今はこうして文章化して説明できますが、当時は自分の中でぼや〜っとそういうイメージを感じていただけなんです)

 

そして「スピリチュアル的なことや宇宙、運命的なことに関わり、そういった中で御自分を磨いた皆様が集う場所」に行った時に私が感じた、見えたオーラや光というのは、子どもたちのそれとは全く違って、大きな光が多く、色、というよりは「とにかく輝きがすごくて、眩しいばかり」だったんですよね。(これは昨年の話なので実際に光が見えた時の話です)

 

 

こうやって文章にしてみると、上記の2つは「全然違う」ようにも聞こえるかもしれませんが。

でも私にとっては「どちらの世界も、オーラと光に満ち溢れた場所」という記憶しかないし、「また行けたら良いな」と思う場所であることに変わりはありません。

 

不思議だなあ

 

同じようでも、ぜんぜん違う。

 

でも、そういう世界や場所や、人に出会えることは、嬉しくて幸せで、ワクワクもする。

 

 

 

もちろん、会った瞬間に直感が働いて「この人には気をつけよう」と思うこともあるのですが。

(昔それで痴漢から女子高生を護って感謝状をいただいたりもした、懐かしい思い出)