こんばんは星空

先週はトップギアだった分、今週はそのツケがきてしまったので、毎週金曜日をお休みの日にしようと思ってたのですが、早めの休息を取ることにしました。

 

実は一昨日月曜日に、ランニングクラブのお誘いがあり、皇居周りを1周走ってきました。

 

東京に住んで8年ですが、皇居でランニングは初めての経験でしたキラキラ

 

ランニングの結果は、最近の自分の体たらく通りでした。

しばらくサウナにハマってたので、明らかに体力落ちておりました魂が抜ける

 

暗かったのもあり、初めてお会いした方々に盛大なズッコケをお見舞いいたしましたー笑

 

おかげで、膝と左手が痛いです。

不思議なことに、帰りの道中に、”カエル”➡︎”ネズミ(死)”と遭遇しました。

滅多にない経験なので、ネットでジンクス的なのを調べたら良い意味があるそうなので、結果オーライでしたね。

 

ランニングマシーンと外で走るのと比べるとやはり、外の方が気持ちいですね。

それとこれは感覚的な話ですが、皇居の場所が空気が澄んでいて呼吸が気持ちよかったですニコニコ

 

 

前置きが長くなりましたが、本日は皆さんがちょっと目を引くようなトピックと自分自身の整理を交えた話を書いていこうと思います。

 

「頭の良さ/悪さ」とは

結論ではなく私なりの意見としてつらつら書いていくので、興味ない方、思ってたのと違うわーと思ったらどこかへスキップしてくださいセキセイインコ青

 

 

 

まず、この世の中の認識を少しフラットにしていきたいという思いから始めさせていただきます。

 

頭がいい人は、自分のことを頭いいとは言わない。

何故でしょうか。

これは皆さんの価値観があるので、私もその価値観の中の一意見として受け止めていただけたら嬉しいです。

 

頭がいいという定義から深掘りしすぎると進まないので、そこは触れないでください。

 

私は、一般的に「頭がいい」と思われる人って、頭がいい人の存在ではなく、人からの評価ではないかと思っています。

自分にない価値観やできないことができる人のこと、など。

 

例えば、世間的にできて当たり前の基準があって、その基準をちょっと超え始めてから、頭がいいと思われるのではないでしょうか。

 

 

今回この話を出したのは、この頃自分がどちらなのか定めようとして、若干苦しくなりました。

 

私は自分で頭がいい方と思っているのですが(堂々と笑)、継続力がなかったり、結果や実績を残せてないので肩書きもなく、人に証明できないので自分に強い劣等感があります。

まさに大言壮語(たいげんそうご)ではないのかなと思い込んでおります。

 

 

ここまで読んでいただいた方にいきなり問います。

自分を「頭がいいです。」と人に言ったことはありますか。

(アンケート機能があったら、聞いてみたいです。)

 

言ったことがある方は、どんな気分になりましたか?

・自信があるからなんとも思わない

・ちょっと恥ずかしい

・やっぱり恥ずかしい

・その他

 

 

私は、自信があるのでなんとも思わないこともありますが、言ったあとに恥ずかしいと思ったこともあります。

 

ですが、私が関わってる人の中で、この人は頭がいい!と思った人が、「自分は頭がいい」と言ったのを聞いたことはなかったかもしれないです。笑

 

逆に「自分は頭が悪い」と言う人が多かったと思います。

そういう人の周りに友達は多かった印象です。

 

 

これは、私の意見ですが、「頭がいい」「頭が悪い」と自分から発することは良し悪し認識のようだと感じます。

 

ちょっと細かく分類すると以下のようなイメージです。

頭がいいと発する人=愚か(悪)

頭が悪いと発する人=親しみ(良)

 

フラットにしたいというのは、こういった認識を変えて自分を素直に認めようという意味です。

 

ありがちなのが、心理テストや自己啓発本などを読んで「自分は当てはまる!」と正直に言った人が、咎められるのをみたことがありますが、伸びしろが止まるのは可哀想です。

素直に傾聴してあげましょうデレデレ

 

 

 

ここから先は、自分自身の人格の整理ですふとん1ふとん3

 

学生の頃の私は、家庭環境などの影響で、かなり極端に勉強ができてない自分はダメな人間と思い込んでおり、毎日勉強のことしか考えられなかったです。(思い返せば、脅迫観念でした。)

 

答えられない、できない自分がとても怖くて知らないことがないくらい調べたり勉強して頭が硬くなってました。

怖いというのは、できないことで馬鹿にされる、笑われることがとても嫌でした。

 

当時の自分は勉強ができていたのですが、人間的にはかなり疲弊してました。(勉強ができていたという、曖昧な伝え方でごめんなさい。)

神経質・落ち込みやすい・ネガティブ・自虐的、ととても苦しい状態でした。

その反対に得られたもの&よかったことは、アルバイト・勉強に柔軟に取り組めたこと、人から憧れられたこと、海外に行けたことですかね。

 

ただ、今は俯瞰的に分析できているのですが、当時はネガティブの沼に浸かっていたので、得られたものは当然のことと思っていたので嬉しさをあまり感じられなかったです。

 

当時の自分の感情を思い出すと、そんな状況で楽しかったと思えたのは、想像力が豊かだったこと。

 

一人でも、想像上の師や人(?)が私を励ましてくれたので、なんとか乗り越えられました。

>>こんなことを言うと病院を紹介されそうですが、分かる人にだけ伝われっ!って感じですニヤニヤ笑笑

 

 

現在の自分は、昔と対照で、劣等感を恥と思いにくくなったことです。

(もちろん、場は考えますウインク)

 

 

その方が人がたくさん笑ってくれるので、それが自分の楽しみだと気づいたからです。

コメディアンのような気分ですニヒヒ

 

 

ただそれも束の間で、最近忙しくなってから自分に向き合う機会が増えて、昔の勉強ができていた自分=真面目な自分が侵食してきている感覚です。

私は、またあの「怖い」を経験することを恐れています。

 

反面嬉しい部分もあります。

それは、お酒が抜けていっている可能性もあるからです。

(この表現はかなり伝わりづらいかと思うので、迷いましたが言い換えが思い浮かばず採用しました。)

いわゆる、健康面に良い影響があるってことですかね。自問自答。

 

 

 

ここから、また本題に戻りますが、タイトルの「両方自分」の意味は、昔も今もどちらかの”自分”ではなく、両方とも大好きな自分になりたいと思ったので、このタイトルを選びました。

 

 

私にとって今でも悩むのが人間関係です。

 

昔の自分は、豊かな想像力と勉強が楽しかったので、遊びに誘う友人をほとんど断り、学校のイベントもほとんど避けてました。

 

今の自分は、人が寄ってきて、友人知人からお誘いを受けて楽しさを感じてきています。(まだ一人ほうが楽しいと言うのは根強く残っていますが)

 

私は、大人数や友人、家族であっても長い時間一緒にいると疲労困憊する体質です。(運動的なことではなく、一緒の空間で長く過ごすことです。)

そのため、なるべく一人でいる時間を多く取ってしまいがちです。

 

昔と今を合わせて「距離感」を大事にすることに気づきました。

長く一緒にいすぎてもしんどいし、会わなすぎても寂しいというのが分かりました。

 

ここで余談ですが、当時自分の感情を理解できていなかったので寂しい時は男性に頼ってました。それが寂しい感情の爆発だとは知りませんでした。

そういった感情に気づけるきっかけを作って正しい行動に導けるような、アプリを開発したいと思っていますピンクハート

 

 

長々と書いてしまいましたが、両方の自分を愛してネガティブの沼に浸からないよう乗り越えたいと思います。

 

 

なんか色んな思いを書いていたら日付を超えてしまっていた大あくび

 

明日も仕事なので、今日はこの辺でそろそろ失礼します。

 

 

皆さんの心に愛が届き、幸せな1日になりますように乙女のトキメキ流れ星