「アメリカン・バーニング」 (米・2016)
ユアン・マクレガー 長編・監督デビュー で 主演の
人間ドラマ・サスペンス 作品 で、原作あり。
1960年代。
中流家庭 の夫婦、スウィード と ドーン。
吃音で 苦しむ 夫婦の娘、メリー が 反戦運動に のめり込む。
スウィード が メリー に、地元で活動しろと 言った矢先に、
「 郵便局 爆破事件 」 が起こり、メリー は姿をくらませる。
メリー に 爆破の容疑 が掛かり、スウィード は 娘を探すが…。
スウィード 役、ユアン・マクレガー。
ドーン 役、ジェニファー・コネリー。
メリー 役、ダコタ・ファニング。
ほとんど ネタバレ。
スウィード は 娘が 恵まれた暮らし をしているのに 反戦運動 に加わる理由が理解できません。
なので 爆破事件 を起こした事が信じられず、
関わっていたとしても 洗脳 されていると思っています。
メリー が 友達が出来なくて 苦しんでいる事は 知っているのに、
彼女の “友達( 仲間 ) が欲しい” 気持ちが わからないんですね。
一方、ドーン は 精神を病み 一時入院 までする。
そして 夫・スウィード に 「 あなたのせい 」 ( あなたと 結婚したせい )と 言い放つ。
彼女は “ミス・ニュージャージー” で モテモテ だったので、相手は
沢山いたんですね。
そして 大切に 飼っていた 牛 を全て売って、“整形” までしてしまう…。
この “整形” は “心の均衡” を保つ行為で、
「 “やり直したい” 願望 」 の表れでもありました。
しかし ドーン は 結婚前、 スウィード の父 に、
「 息子さんを愛している 」 と 強い決意をもって 言っているんですね。
この 心境の変化 ( 無意識 又は 意識的 な 心情の改変? )が、
彼女の “心の傷の深さ” を表していました。
後半、スウィード は メリー と再会。
メリー は 事件後、場所を転々とする中、監禁強姦 に合っていたことがわかります。
あと 彼女は インド宗教の 「 ジャイナ教徒 」 になっていて、
その規定で、口を布で覆って います。
( 口を覆うのは 空気中の生き物 を 殺さないため らしい )
そして、郵便局爆破 の他にも 爆破事件 を起こしていて、
計4人 殺害していたのも わかります。
彼女が “厳しい規定” がある ジャイナ教徒 になったのは、
事件を起こした “自身への罰” だけではないようです。
その 「 ジャイナ教 」 の規定に、“性的な行為を行わない” があるので、
彼女の 暴行で受けた傷の深さ も推測できます。
あと、“転生” も信じていて、それは 母同様 「 “やり直したい” 願望 」の表れ のようでも ありましたね。
この作品は 1996年の 同窓会での ネイサン と スウィードの弟 の
再会から 始まり、
ネイサン も出席する スウィード の葬儀 で終わるのですが、
その場面が 個人的に 出色でした。
終盤、 葬儀が 終わると、車から “女性” が出てきます。
遠目で よく見えない のに カメラの ピント は手前の ネイサン に
合います。
そして “女性” の 歩く後ろ姿 を映し、
ドーン の近くでは “女性” の横顔 が映ります・・・が、
ここも ピントは 奥の ドーン に合っていて、“女性” の顔が良く見えません。
しかし、“女性” の口は 布で覆われていない んだよね。
“女性” の 今の状況、心境は 全然 わかりません。
でも “自身への 罰、向き合い方” の方法は変えた様だし、
“父の想い” も 幾分かは 伝わったのかもしれません。
終盤の ネイサン の エピローグに、
「 広い心で 他者と向き合っても 誤解は必ず生じるものだ… 」
の言葉が出るので、
顔が良く見えない( 表情が 読めない ) “女性” は、
「 他者の心の わからなさ 」 の表現 のように感じます。
今作と同じように、突然 娘がいなくなる 『 ジュリエッタ 』(16年)も、
「 人と人との 分かり合えなさ 」 を描いていましたね。
ラスト・カット は 棺の前で佇む 後ろ姿の “女性” で終わります。
エンドロール で流れるのは 有名な曲 『 ムーン・リバー 』。
前半でも A・ヘップバーン が好きな メリー が歌っていました。
( 『 ティファニーで朝食を 』 で ヘップバーン が 歌っている )
始めて歌詞を 知ったんですが、かなり 意味深ですね。
“広い川 ” は 今作では 「 人と人との へだたり 」 の意味なのかな?
“あなたは 夢を与えも、心を 砕きもする” は、
スウィード、ドーン、マリー、それぞれが 良い影響 も 悪い影響 も
与えあっていた という ことだろうな~。
あと、
マリー が再び “ヘップバーン を好きになった” = “傷が癒えてきた”
ことを 表現したかったんだよね・・・多分。
なので、“家族の崩壊” の話ですが、
最後は チョットだけ 前向きな 終り方なんじゃないかな~。