今の家に引越ししてから嫌な事が余りにも多発する。



新築に引越した筈なのだが、
引越して2週間余りで世間の殆どの人が苦手と思われる物体、
連続的に部屋で2回、外部廊下で2回、
今まで一人暮らししてこんな頻度で遭遇した事が無い。
有り得ない。
葛藤し奇声を上げ気合を入れ何とか部屋出現の2回を処理。

引越しして3日目でトイレが詰まる。
有り得ない。
素人レベルでは改善出来ず業者を呼ぶ羽目に。

隣人もしくは下階人の深夜のドタバタ足音騒音、煩い。
有り得ない。
何故にそんなに部屋の中をばたばた音を立てて歩く必要があるのか謎。

そして今日。
仕事から疲労帰宅し何か変わった音がするなと我に帰ると、
鞄にデカいデカい蝉が張り付き鳴いている。。
有り得ない。
何で、、??
一体いつ俺の鞄に張り付いたのだ?
そして改めて何で?
俺は虫がダメだ。
昆虫含め虫が一切ダメだ。。
天井に飛び移り鳴き続けている。
恐ろしい、、
40年生きてきてこんな事は初めてだ。

後輩に助けを求める。
虫処理が大丈夫だと言う妹さんに処理して貰う。
命乞いだ。本気で命乞いした。
感謝。

疲労困憊だ。



 

 

音楽は時代と共に生きているのかも知れない。

何を想い彼はこのピアノを弾いていたのだろう。
 

決して貶している訳では無く、

あの時代から20年以上の月日が流れ色んな事が有り年齢も重ね、

当時TV越しに憧れの眼差しで観ていた彼の姿よりも幾分小さく見える様な気がした。

 

ピアノの音色はその人の心を映し表すと言う。

当時の音色とは違い、

限り無く優しく望郷の様な儚さに包まれている様な音色。

でも力強さも感じる。

それは今を生きる事への、音楽への「心強さ(執念)」なのかも知れない。

 

そして、大切なシグネチャーは変わらない。

小室哲哉のピアノだと分かる音色。

小室哲哉の確固たる彩を感じられるピアノ。

 

時代と共に寄り添って生きる音楽とは、

その時代と共に「生きた」音楽、過去と言う意味ではなく、

その時代と共に「生き続ける」音楽、未来永劫なのだと。

 

このピアノを聴いて、音楽の在り方とは決して一辺倒では無いのだと思えた。

 

 

※追記

この時1997年と思う。

小室哲哉を羨望の眼差しで観ていた頃。

この時と今とではやはり全然音色が違う。

良い意味で攻撃性と言うか尖ったとでも言うか、ロック的なものも感じる。

でも旋律は洗練綺麗、シグネチャーも無論健在。

 

ピアノは奏者の心を映す。

この時と今とではきっと心境が違ったものになっているのだろう。

でも偶にはこんな攻撃性も有るピアノも弾いて欲しいなと個人的には思っています。

 

 

 

音楽の触れ方、聴き方、

その変化も消耗品音楽を多量生産させる原因の一つであると考える。

 

サブスクは音楽を素晴らしく大衆の身近な存在にさせてくれた反面、

所謂アルバム市場とでも言うかアルバム世界観を壊してしまった。

80年、90年代は\2,500~3,000を払い一枚のCDアルバムを購入しないと音楽に触れられなかった。

だからこそでは無いが好き嫌いはあれど一曲一曲に触れていた様に思う。

 

サブスクは同じ金額、もしくはそれよりも低料金で一気に膨大な音楽に触れる事が出来る。

それは膨大な情報の中から気に入った曲だけを集めて聴く事に繋がり、

次から次へと新しい情報に触れられる為、新陳代謝が格段に上がってしまった。

膨大な情報に触れられる事はメリットだが、

一枚のアルバムが持つ意味・世界観、

一曲一曲に対する価値観、

それらを多いに狂わせた。

それが良い事なのか悪い事なのかは一長一短全てにおいて有り解らない。

だが、ネットの普及と合わせ、

音楽=消耗(無料で聴けるもの)で有ると言う事を嫌でも浸透させてしまったのかも知れない。

 

創作面においては、

動画をバズらせる為の音楽、

ウケる為の音楽、自分自身をバズらせる為の音楽、

それが今現在の主流な創作スタイルの一つに思う。

飽く迄も動画が主役。音楽はサブ。

横道に逸れるが、バズる動画の多くは低次元なものでとても芸術作品と呼べるものは無い。

その動画の為の音楽なのだから芸術音楽が生まれる訳が無い。

 

面白ければ何でも有り。それが全てなのだと思う。

皮肉にも今現在はそのバズる為の動画なり音楽が大衆に広く受け入れられてしまう。

需要と供給がマッチしてしまう。

 

しかし、本当の音楽、素晴らしい音楽とは、その様な消耗品とは一線を画すと信じている。

自分自身がそう体感した様に。

天賦の才、研ぎ澄まされた繊細な感性を持つ「アーティスト」が、

本当に心血注いで生んだ音楽は、

必ず人の心に触れ、突き刺さる様な、

自然と涙が流れてくる様な、

心が洗われる様な、

BGMとしてサブとして聴き流す事が出来ない程、

心を揺さぶられる何かを齎す筈だ。

 

その様な音楽と、アーティストと出会えた自分だからこそより強く思うが、

本来音楽とは広く様々な意味で感動衝撃興奮、

全てを網羅している芸術なのだと。

そして創作者の心、生き様を映し現すものだと。

 

少なくとも自分にとって素晴らしい音楽とはその様な音楽だ。

その音楽と既に出会えているだけでも奇跡なのだからもう十分だろうと言われればそれ迄だが、

消耗音楽で溢れ世間が沸いている様に見える現状をどうしても直視出来ない自分は、

いつしかまた本当の芸術音楽が現れ放たれ、消耗品を蹴散らし、

日本でも世界でも大々的に評価される事を願っている。